Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

『Cytus II』音楽を理解し、テキストを読むということ:ただそれだけの威力

『Cytus II』というゲームが好きだ。だいぶ好き好き言っているから、聞き飽きたかもしれないけど、これはもう愛してるというほど好きだと思う。

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 このゲームはリズムゲームとノベルゲームを交互にやるような変なゲームではあるんだけど、それぞれ優れているのは当然として、どうしてノベルゲームの合間にリズムゲームをやらなきゃいけないのか(もしくは、リズムゲームの合間にノベルゲームをやらなきゃいけないのか)という明白な問題を抱えているような気がする。

普通の人にとってはそれはなんの関係もない、非本質的なつながりだからだ。「リズムゲームでノベルパートを開放して読む?なにそれ、面白いの?」

確かにそうかもしれない。だけど、やるとそうでもない。いや、少なくとも音楽を愛する人間にとってこれは必然的なんだと思わせるパワーと繊細さがこの作品にあるのだ。

しばらく、この理由をうまく説明できなかったけど、最近、ちょっとわかってきた。

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本作の楽曲は複数のキャラクターによってソートされており、基本的に彼らの「楽曲」(実際には複数のアーティストのライセンス曲や書下ろし曲なんだが、設定上は架空のアーティストの楽曲)として提示されている。当然、アーティストなんだから曲を作ったときの気持ちや考えはあるわけで、これらのキャラクターごとのサウンドトラックは彼らの心象風景を表している、

翻ってリズムゲームとしての本作はなかなか良くできており、単なる目押しでボタンを押すのではなく、楽曲の理解(リズムや拍子、特定の楽器音への注目など)を深めることで攻略するようにできている。リズムゲームとしての素晴らしさはまた別のところで説明したい気もするが、ともかく、ノベルパートをアンロックするにはある程度、これらの楽曲を聞き込み、理解する必要がある。

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それでは、音楽を理解するとはどういうことなのか?それはキャラクターたちの感情に共鳴し、歌詞に意味を見出し、同じ心象風景を見ることだ。もちろん、それはテキストのようなはっきりとした形では提示されないが、音楽を愛する人にとってはごく自然なコミュニケーションである。そしてこれらの理解によって、ノベルパートのテキストに彩りが重ねられる。

そのため、たとえ陳腐なシナリオや言い回しがあっても本作のストーリーは素晴らしくエモーショナルだ。端的にエモいというやつだ(この言葉は嫌いだが、わかりやすくいうとそうだ)。実際には本作のテキスト、シナリオ、ダイアログはノベルゲーム単体としてもかなりよくできており、ローカライズも含めて、最高峰のものだと思う。それを音楽を通したグラスで眺めると、心の中でゲームでしか見たことがない物語と世界が立ち上がってくるのだ。

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つまりはそういうこと。音楽を聞き込み、テキストを読む。ただそれだけといえばそれだけかもしれないが、それがいかに重要かを教えてくれる素晴らしいゲームが『Cytus II』である。

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R.I.P. Sherry

※極めて蛇足的なことだが、音楽の水準も本作はリズムゲームとしてもずば抜けており、ここに集められた楽曲は一つの価値観を示しており、文化を作るものだと信じている。