Jamie Paige『Constant Companions』:海外ボカロシーンのクイア性
Jamie Paigeはシカゴのアーティストである。ボーカロイドと自身の声を併用したシンセポップを中心としており、BandcampやSpotifyを中心に人気を集めている。また初音ミクのDigitalStars2025の楽曲も手掛けている。
2024年リリースのアルバム『Constant Companions』は大きな注目を集め、今年7月11日にはDeluxe Editionがリリース予定だ。
Jamieの魅力は、様々なボーカロイドを扱いながらも、プログレッシブかつポップな楽曲をエモーショナルに昇華させているところだ。歌詞の内容はボーカロイドというテクノロジーの上で、自身のジェンダーに関する経験を象徴的に扱っている。
Jamieに限った話ではないが、海外のボーカロイドシーンにはクイア性が高い。これはちょっと考えてみたら当たり前のことかもしれないが、ボーカロイドというテクノロジがジェンダーを上書きする効果があるからだ。日本ではキャラクターの声として扱われることが多いボーカロイド楽曲だが、英語圏では自身の理想とする声として利用するといった具合か。自身のジェンダーを特定のボーカロイドに同一視する「VOCAgender」というような言葉もあるそうだ。
ロールプレイを促進するシステム:『GTAV』アライメントによるキャラクター役割
先にロールプレイを促進するゲームシステムについて言及したが、その中でも特に古典的な「アライメント」について今回はちょっと書いてみようと思う。
「アライメント(alignment)」という概念は、主にTRPG(テーブルトークRPG)由来のもので、キャラクターの道徳的・倫理的傾向を表す要素である。その起源は、1970年代の『ダンジョンズ&ドラゴンズ(Dungeons & Dragons, D&D)』にさかのぼる。
最初期のD&Dには、アライメントは単純なもので、当初は:
- Law(法)
- Neutral(中立)
- Chaos(混沌)
という秩序・混沌の3要素のみで構成されていた。
1977年の『Advanced Dungeons & Dragons』(AD&D)では、以下のような二軸9分類のアライメントが登場した。
- 縦軸:倫理(Ethical axis)
- Lawful(秩序):法、伝統、規律に従う
- Neutral(中立):どちらにも偏らない
- Chaotic(混沌):自由意志、個人主義、反抗
- 横軸:道徳(Moral axis)
- Good(善):利他主義、博愛
- Neutral(中立):バランス、無関心
- Evil(悪):自己中心、破壊的
「秩序にして善」とか「中立にして悪」とかそういうのだ。聞いたことがある人は多いだろう。ただビデオゲームでは一部のRPGをのぞいて、この9分類を律儀にそろえているゲームは少なく、主に3分類のアライメントが用いられることが多い。
話を戻すと、このアライメントの目的はおおよそ次のようなものがある。
- キャラの行動原理を示す: どんな選択をする傾向があるか
- 魔法やアイテムの効果に影響: アライメント限定の装備や呪文がある
- 神格や宗教との関係: 神官は特定アライメントの神に仕える
- 倫理的ジレンマをプレイに持ち込む: ロールプレイ支援として
TRPGではゲームシステムとナラティブが密接に関わっているので、アライメントがどちらの機能を持つのかははっきりと区別できない。しかしながら、ビデオゲームでは主にこのアライメントはゲームシステムに関わるものと、ロールプレイを促進するもの(主にナラティブな要素)に分けて考えることができる。
ゲームシステムとしてアライメントを明確に取り入れているゲームとしては、ウィザードリィシリーズなどを挙げることができる。ゲームシステムにもストーリーにも影響するものとして取り入れている事例は真・女神転生シリーズが挙げられる。ストーリーに関しては、「アライメント」と銘打ってないが、それを意識した会話などの選択肢を用意しているゲームはやまほどあるだろう。
こういった非明示的なアライメントの要素は気づくとなかなか楽しい。最近気付いた例でいうと、『GTAV』における3キャラクタースイッチシステムだ。ご存知のとおり、本作はフランクリン、マイケル、トレバーという3人をスイッチしながらゲームを進めていくが、この3名のキャラクターの書き分けがおおよそニュートラル、ロウ、カオスとなっているのである。プレイヤーキャラクターの分身としての性格が強いフランクリンは、ゴミ溜めのような日常から抜け出そうともがく野心のある若者だ。マイケルは引退した強盗であり、家族という守るものをもった中年男性だ。そして、トレバーはPTSDを抱えつつ周りをかき乱す魅力的なサイコパスだ。これらの性格や役割は明示されてないとはいえ、ニュートラル、ロウ、カオスにかなり一致しているのだ。
ゲームシステム(つまりパラメータやそういった類)には影響は与えないにしろ、この3つの役割分担はプレイヤーがキャラクターになりきることをうまく促進してくれる。フランクリンで王道なギャングスタの道を上り詰めつつ、マイケルでギャングと家族という相容れない要素で葛藤し、トレバーで大暴れする。プレイヤーにとってキャラクターの好き嫌いはあるとはいえ、このようなキャラクターがセットされていればこそ、遊び方がわかりやすく、キャラクターにも移入しやすい。またいわゆるキャラクターアークの予想もつきやすい。
アライメントは古典的なゲームシステムであるが、未だに利用され続けるロールプレイを促進する優れたシステムなのだ。
PSっぽい雰囲気のCGアーティストmiraimono
LE SSERAFIMの新曲MVで大々的にゲームグラフィックスを使っているものがあるのを知った。
ドット絵のMVは珍しくなくなったけど、これはPS世代の3Dグラフィックスを彷彿とさせるデザインも使われており、なかなか野心的だ。(MVの中にはゲームボーイやPC98のようなデザインも節操なくつまっている。ある意味でインディーゲーム的だと言えなくもない)。
この3Dワークを担当したのは韓国のmiraimonoというアーティストのようだ。この人はBjörk、Rosalía、Aphex Twin、Charli XCXなどの楽曲やアーティストをモチーフとし、PS1風のレトロ3Dグラフィックでトレーラー映像を制作している。
90年代のプレイステーションタイトルを思わせる、ポリゴンの荒さ・テクスチャの粗さ・独特のカラーリングを意図的に再現し、懐かしさと異世界感を融合させた作風が特徴で、音楽と共にゲームのオマージュを行っている。Rosalíaの曲を背景にした“ドゥーム風”スラッシャー演出、Bjorkがカタナを振るうアクションなど、現代の音楽×レトロゲームのクロスオーバー感が強い。どれも出来がいいのでいくつか貼っておこう。
これはAphex TwinのWindowlickerのMVをもととして、DOAのビーチバレーをやらせてみたという見事な発想。
こちらはビョークのHomogenicを使いつつ、キル・ビルみたいな剣戟+銃撃アクションのゲームにしたてた作品。
Charli XCXはGTA風になっている。
他にも面白い作品がおおいので、インスタグラムをチェックすると良い。
ビデオゲームにおけるロールプレイ:自由と制限の狭間で
ロールプレイとは、役(ロール)を演じる(プレイ)ことであり、ゲームに限った事柄ではないが、ビデオゲームはしばしばロールプレイを重視するアートである。その呼称の正しさはどうあれ、「ロールプレイングゲーム」といえば、ビデオゲームの王者たるジャンルとして君臨しているわけだから、最重要な要素と言っても良いだろう。
とはいえ、「ロールプレイングゲーム」のすべてがロールプレイを重視しているかというとそうではない。「ハック・アンド・スラッシュ」という言葉があるとおり、このジャンルには戦闘を重視してロールプレイを重視しない一派も存在しているし、一般的な「ロールプレイングゲーム」の定義は「プレイヤーキャラクターの成長が重視されるゲーム」というほど広がっているように思う。
ただ今回は狭義のロールプレイを考えることで、ビデオゲームでロールプレイが達成されるための条件と、それを誘発するシステムについて考えてみたい。
ビデオゲームにおけるロールプレイを考えるときに、2つの極がある。一方はそのビデオゲームにおけるシステム的な自由度である。実際には自由度が少ないRPGは珍しくない(特にJRPGは伝統的にその傾向が強い)。そのようなRPGにおいては、プレイヤーは演劇の演者ではなく、観客の位置に属して物語を鑑賞する。狭義のロールプレイにおいては、プレイヤー自体が演者でありながら、自らの行動を決定する自由を与えられていなければならない。
他方の極には、プレイヤーの選択肢に対する制限の意図が必要とされる。自由度が担保されたビデオゲームにおいても、ただ無軌道なゲームプレイをすることはロールプレイと呼ばれないように思える。というのは、それがなんらかの「ロール」であるためには行動原理に関するある程度の一貫性を持たなければならない。もちろん、ハチャメチャなゲームプレイをして「ハチャメチャなキャラクターを演じている」と主張すること(GTAのトレバーのような)はできなくもないが、多くのビデオゲームに求められるロールプレイとはそういうものではないだろう。
実際のビデオゲームのロールプレイはこの2つの極にまたがる形でスペクトラムを描いているだろう。最低限の選択肢しか与えられないJRPG、自由度が高い海外のオープンワールドゲーム。良し悪しは別として理想的なロールプレイとは、自由度が高いゲームシステムの中で、プレイヤー自らが設定したロールにふさわしい範囲で行動と選択を制限してプレイすることとなるだろう。(伝統的にこの問題はTRPGにおいて発達した議論のように思える。またこれは現実の我々の行動規範や卓越化に関わる人生の問題にも通じる)。
次に興味深いのは、ビデオゲームにはこの種の(狭義の)ロールプレイを惹起するシステムが備わっていることがあるということだ。例えば、いくつかのゲームで実装されるカルマや評判値のようなもの(RDR2など)。この手のパラメータはプレイヤーの行動によって一定の結果を与えることで、行動の制限をプレイヤー自らが行うように促す。その他にはTRPGを由来とするアライメントやプレイヤーキャラクターの出自をゲーム内に反映するシステム(CP2077など)。これらは間接的にプレイヤーがどう行動すべきかの指針を与えることでロールプレイを惹起する。
このようなシステムが存在することは、開発者はユーザーにロールプレイを楽しんでほしいという希望があることを意味しているように思える。しかし振り返ってみれば、なぜロールプレイをすることは楽しいのであろうか。私が思うに無軌道なゲームプレイもそれはそれとしてビデオゲームの楽しみのひとつである。この論点に関してはまた別の機会に考えてみたいとする。
ともあれ、このようなロールプレイを惹起するシステム(何か名前はありませんか?)について考えることは興味深い。開発者側からすると、プレイヤーにさせたいゲームプレイを誘導する技術であるわけで、手腕が発揮される重要な要素だ。実際に成功したシステムもあれば、あまり成功していないシステムもある(CP2077のライフパスなどはあまりうまく機能しているとは思えなかった)。またロールプレイは物語に関係する要素であるため、遊びと物語(ルドナラトロジー)の一貫性を作るための技術ともなりうる。今後、このようなシステムを具体例とともに見ていくのはビデオゲームの批評と創作に役に立つかもしれない。
謎のアーティストだったAlex G:GTAVでの邂逅
Bandcampで聞いていて、その背景がぜんぜんわからなかったアーティストとしてAlex Gという人がいる。
ローファイなインディーロックを基調としたその気だるい音楽は今っぽいチルな雰囲気を描写しており、Bandcampの中でも人気を博していた。自分も気に入って何度となく聞いていた。ただ、Alex Gという人が誰で何なのかはぜんぜんわからず(Bandcampのアーティストプロフィールもほとんど情報なし)、その匿名的なアーティスト名と共に謎めいた魅力を秘めていた。
時は10年ほど経過して、何故か今頃GTAVをプレイしていた。その中のラジオでフランク・オーシャンがキュレーションとDJを務めるblonded Radioというチャンネルがある。もともとはAppleのために作られたプログラムらしいが、GTAVのDLCと共に追加されたチャンネルらしい。フランク・オーシャン自身の曲のほか、カーティス・メイフィールドやマーヴィン・ゲイなどのソウルクラシック、Futureなどの最近のラッパー、Aphex Twinといったテクノも含め、ボーダレスにフランクの趣味が繰り広げられている。その中に(Sandy)Alex Gというアーティストが(私には)なんと入っているではないか。
その後、調べたところによると、Alex GことAlexander Giannascoliは、アメリカ・ペンシルベニア州出身のシンガーソングライター、プロデューサーであり、Bandcampでのヒットをもとにフランク・オーシャンのアルバム『Endless』や『Blonde』への参加を経て、国際的な評価を獲得したアーティストであるということがわかった。
彼の音楽は、エリオット・スミス、モデスト・マウス、レディオヘッド、エイフェックス・ツインなどから影響を受けており、内省的な歌詞と実験的なサウンドが特徴で、特に、2022年のアルバム『God Save the Animals』では、信仰や成長といったテーマを取り上げ、より音楽的進化を示したとされる。
2024年には来日公演もしているようで、宮崎駿のアニメや『ELDEN RING』のような日本のカルチャーが好きだとも発言している。
この話は単に個人的なエピソードにすぎないけど、前回のエントリにあった音楽を巡るキラキラはこういった偶然の一致にも宿るのではないかと思い、ここに記しとくことにする。
音楽が”キラキラ”するためには:ユーザー価値が高まるプラットフォームの重要性
先日こういうブログエントリを読んだ。
このブログ記事「音楽産業は"キラキラ"を取り戻せるのか?」は、筆者が入院を経験したことをきっかけに、人生の儚さと「今を楽しむ」ことの重要性に気づき、退院後にソーシャルゲームに課金して楽しんだ体験が語られている。
筆者は、ソーシャルゲームにおける「所有感」や「想像力」が、ゲームの世界観やキャラクターへの愛着を生み出し、課金を促す要因となっていると指摘。一方で、音楽産業では、サブスクリプションの普及により「所有感」や「想像力」が薄れ、アーティストとの関係性が希薄になっていると感じているという。
さらにブラックメタルバンドのEMPERORのインタビューを引用し、かつての音楽体験が「想像力」や「神秘性」に支えられていたことを紹介し、現代の音楽シーンでは、SNSやストリーミングの影響で情報が過剰になり、アーティストの神秘性が失われていると述べる。
最終的に、筆者は音楽の「キラキラ」を取り戻すためには、アーティストがリスナーの想像力をかき立てるような工夫を凝らし、神秘性を保つことが重要であると結論づけている。
音楽雑誌とCDで育った自分としてもこういった意見にはうなづかせられるところはあるものの、いやまだ時代の移行期だからじゃないのっていう気もしている。現代のSNSとストリーミングの情報の飽和は認めるものの、それはそれらのプラットフォームが音楽の魅力を感じさせるものになっていないだけで、主観的な「想像力」や「神秘性」といった問題で片付けることではないと思う。
実際のところ、ビデオゲームはほとんどがデジタルに移行しているが、所有に関する欲望はライブラリを充実させるという意味で消えてないと思う。Steamを例にすれば、Steamには自分のライブラリを晒すこともできるし、プロフィールで珍しい実績を自慢することもできるし、貴重なトレーディングカードを集めることもできる。まあSteamのやり方は少々強引ではあるのだが、ゲームを買い、ゲームをプレイすることでユーザーに価値を与えようとする意思は明確に感じられる。
その点、このブログの冒頭でソーシャルゲームの例が挙げられるのは示唆的だ。なぜただのデータにお金を払うのか。それはそれが価値となるユーザーベースが存在するようなプラットフォームとして機能しているからだ。だから人気のないソーシャルゲームのURカードにはそんな価値は出ない。人気があるから価値がでるという身も蓋もない経済原理がここには働いている。
では音楽プラットフォームもURみたいな音源を配ればいいのか(実際にフィジカルの世界では豪華版やいくつものバージョン違いが制作されているが)。個人的にはそうあってほしくはないと思う。音源は音源として同じものが流通すれば良い。重要なのは、どういった音源をどういったセンスで購入しているのかといった可視性が必要だと感じている。ユーザーが音源を買うことでユーザー自体の価値があがる。そういうシステムが理想だろう。
事実、Bandcampではユーザーのライブラリは晒すことができ、特定のユーザーをフォローしてチェックした音源をフィードから観察することも可能だ。今のところBandcampのSNS機能は非常に原始的なところにとどまっているが、やりようによってはもっとできることはあるだろう。特定のジャンルの音源を集めた人にバッジを与えるとか、視聴回数に応じて何らかの特典を出すとか、やれることは多い。キュレーション機能を強化するのも良いかもしれない。
結局、現状のメジャーな音楽プラットフォーム(SpotifyやApple Musicなど)が単なる音楽が出る蛇口でしかないのが問題で、音楽が”キラキラ”する方法はまだまだあるはずだ。
オフマイク唱法の美学:エモとスクリーモ
オフマイク唱法というものがある。私が勝手に名付けたものだが、その意味するところは、「マイクから離れた(オフマイク)ところで発声されたようなボーカル音の表現技法」といったようなところだ。クルーナー唱法がそうであるように、これは歌い方でありながら、マイクという楽器を使ったテクニックであり、同時に録音物を制作するときの編集・加工技術でもある。現実にオフマイクで発声した音を録音することもあれば、イコライザーとリバーブのエフェクトなどでそのようなサウンドを再現することもある。
なにはともあれ、具体例を聞いてみるのが早いだろう。以下の音源はSpotifyのプレイリストにもまとめてみた。
『13 songs』から1曲目の「Waiting Room」だが、この時点で初期Fugaziはオフマイクの響きを効果的に使っている。イアン・マッケイのボーカルが内向きの内省的な響きを感じさせるのに対して、ギー・ピチョットのボーカルはオフマイク気味に反響する。明暗法とでも言えるその対比は、サウンド的な面白さはもちろん、内面での対話のように歌詞とも響きあう。
マイクから離れて(オフマイクで)発せられる声は、端的に遠くから響いているように感じさせ、低音と高音が弱まり、中音域中心のこもった音の印象を与える。これがどのような意味を持つのかを、主にエモ/スクリーモの実際の例と共に見ていこう。
At the Drive-Inの初期作からピックアップしたが、ツインボーカルのジム・ワードのパートが遠くから聞こえてくる。それはセドリック・ビクスラー=ザヴァラの激しいリードボーカルを補完するような役割を果たしながら、Fugaziと同じく対話のように響く。ただFugaziの「Waiting Room」が自問自答のようだったのに対して、「Star Slight」のオフマイク唱法は自分自身を鼓舞するような明るさと開放感を感じさせるものだ。
Midwest Emoの中ではBraidもツインボーカルでうまくオフマイク唱法を利用している。この「First Day Back」では、オフマイク側のシャウトは歌というよりもコール&レスポンス的なニュアンスを感じさせる。バンドの音というよりも、熱狂したオーディエンスが投げかけるレスポンスのようだ。結果、サウンドのライブ感が増しているのだ。
ツインボーカルでなくてもMidwest Emoでは、比較的オフマイクでのボーカル音が目立っている。Mineralの「Parking Lot」では、静かな内省的なボーカルがややオフマイク気味で始まり、曲のクライマックスでシャウトする。ここで表れている表現は孤独感や焦燥感といったニュアンスのもので、やはりEmoというジャンルを構築するためにオフマイク唱法は重要な役割を果たしているように思える。
少し変わった例ではCap'n Jazzによるa-haのカバー「Take On Me」を挙げることができる。ティム・キンセラによるボーカルはかなりオフマイクで録音されており、どこか不真面目な感じを匂わせてくる。そもそもa-haのカバーというもの自体がネタという感じがするが、オフマイクで音程も外して歌うその姿はある種の遊びやオフテイク感を感じさせるとともに、録音のドキュメンタリー性を浮かび上がらせているだろう。
EmoリバイバルからはAlgernon Cadwalladerから一曲ピックアップ。前述のキンセラ兄弟に強く影響を受けた彼らだが、ボーカルスタイルもオフマイクのシャウトが中心だ。部屋の中で絶叫している姿が脳裏に浮かぶようなスタイルは、やはりEmoの持つ中心的なサウンド表現のひとつであり、感情的な爆発を感じさせる。
少し方向性を変えてScreamoのシーンを見てみよう。Emoの中でもシャウトを多様するScreamoだが、ここでもオフマイク唱法は巧みに使われている。初期のScreamoの重要バンドSaetiaの「The Sweetness and the Light」では、クリーントーンのギターの上に極端なオフマイクのボーカルがのせられている。やはりここでも孤独感や閉塞感のような感覚を生じさせ、後半のギターの爆発と共に一気に叫び声に変化する。ツインボーカルの多声的表現ではないが、ここでもオフマイクを利用した明暗法、強弱法が使用されている。
同じような表現はリッチモンドのCity of Caterpillarにも通じる。冒頭、ドラムとボーカルだけの演奏だが、ボーカルはかなり遠くから聞こえる。その後、ギターと共にオフマイクでのシャウトが怒涛のように流れ込む。Screamoにおいても、オフマイク唱法は孤独感、閉塞感、感情の爆発といったものを表現するための常套手段となっているわけだ。
Screamoの中で変わり種としてはpageninetynineが挙げられる。多人数バンドとして知らえれる彼らはボーカル自体の多さはともかく、オフマイクでの絶叫がパニック的空間演出に使われており、ライブの混沌を録音に持ち込んだような印象を与える。言うならばお化け屋敷的オフマイク唱法とでも言えるのかもしれない(笑)。
もうひとつ変わった事例としては、初期のScreamoバンドのOrchidの「Lights Out」。オノマトペのようなセリフがオフマイクで呟かれ、それ自体がギターリフをリードすることになる。ここに来てオフマイク唱法は少しスポークンワードのような様態を示すことにもなってくる。歌うのではなく、語る。そういったニュアンスを比較的オフマイクでの表現によって表されているのだ。
スポークンワードというか語りとしてのオフマイクという意味ではLa Disputeが忘れることができないだろう。その情熱的な語りもややオフマイクで取られており、アンビエンス感が情感を引き立ててくれる。直接的なシャウトや激しいギターリフがなくても、ここまでパッションのある楽曲ができるのだということに驚きだ。
最後はアメフトで締めよう。キンセラ兄弟のオフマイク唱法はCap'n Jazzのときに比べたら控えめになっているが、それでも内省的なそのボーカルスタイルは空間の味を溶け込ませるようにオフマイクで表されている。ボーカルが遠くで鳴っているように聞こえるというその感覚はノスタルジーや切なさ、思いの届かなさといった、いわゆる「エモい」感情をかりたたせてくれる。ギターリフや複雑な楽曲構成に目が行きがちなEmoというジャンルだが、マイクの使用方法やボーカルのミックスの仕方にも十全たる美学が存在することをわかってもらえれば幸いだ。