Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

SublimeとMinutemenについて日々思うこと

 

一年に数回くらい上記のようなことを思ってるので、手っ取り早くAIでまとめた。まあ単にどちらも大好きなバンドだから聴けよ!っていうだけの話なんだけど。

 

SublimeとMinutemenをつなぐ線

Sublimeについて語ろうとすると、いくつかのジャンル名がすぐに浮かんでくる。スカ、レゲエ、ダブ、パンク、ヒップホップ。そして1990年代の南カリフォルニア。

どれも間違ってはいない。SublimeがBad BrainsやDescendentsからパンクを、Bob MarleyやToots and the Maytalsをはじめとするジャマイカ音楽からレゲエ/スカを、そして同時代のヒップホップからサンプリングという方法を吸収していたことは、その音楽を少し聴けばわかる。

 

しかし、Sublimeの音楽を理解するうえで、意外なほど語られていないバンドがいる。

Minutemenだ。

「Punk rock changed our lives」

youtu.be

 

Sublimeのファーストアルバム『40oz. to Freedom』を再生する。最初に聞こえてくるのはBradley Nowellの声ではない。

「Punk rock changed our lives」

 

youtu.be

Minutemenの「History Lesson – Part II」からサンプリングされたD. Boonの声だ。

これはかなり奇妙なアルバムの始まり方でもある。このあとSublimeが演奏するのは、Minutemenを思わせるハードコア・パンクではない。「Waiting for My Ruca」はゆったりしたベースとリズムマシンを中心にした、レゲエやダブ、ヒップホップの感覚が混ざった曲だ。

つまりSublimeは「Punk rock changed our lives」と宣言した直後に、一般的な意味ではあまり「パンクらしくない」音楽を演奏する。

しかし、Minutemenを知っていれば、この矛盾は消える。

むしろ、この矛盾そのものがパンクなのだ。

Minutemenにとってのパンク

Minutemenは1980年代の南カリフォルニア・ハードコアのなかから登場した。

しかし、その音楽は当時のハードコアの定型から大きく外れていた。

極端に短い曲。ファンクのようなベース。ジャズのような即興性。Captain Beefheart。CCR。フォーク。政治的なスポークンワード。ギター、ベース、ドラムという最小限の編成を使いながら、彼らはパンクの外部にある音楽を次々と自分たちの演奏へ持ち込んだ。

だから彼らにとってパンクとは、一つの音楽ジャンルである以前に「音楽を自分たちで作っていい」という許可だった。

そのことを歌った曲が「History Lesson – Part II」だった。

パンク・ロックが人生を変えた。

だから、自分たちは自分たちの音楽をやる。

この考え方を頭に置いてSublimeを聴くと、彼らがMinutemenを引用した理由が違って見えてくる。

『Double Nickels on the Dime』から『40oz. to Freedom』へ

youtu.be

Minutemenの代表作『Double Nickels on the Dime』は、パンクというカテゴリーに収まりきらないアルバムだ。

ファンク、ジャズ、フォーク、ハードコア、ロック、実験音楽。それらが短い曲として猛烈な勢いで並んでいる。

 

youtu.be

一方、『40oz. to Freedom』も奇妙なアルバムである。レゲエがあり、スカがあり、ハードコアがあり、ダブがあり、ヒップホップがあり、カバー曲があり、サンプルがある。

一見すると両者の音はかなり違う。

だが、アルバムを支配している原理はよく似ている。自分たちが実際に聴いている音楽を、ジャンルによって整理する必要はない。

ここにMinutemenからSublimeへ引ける一本の線がある。

「#1 Hit Song」

その関係をさらに露骨に示す瞬間が、Sublimeのライブにある。

 

youtu.be

ライブアルバム『Stand by Your Van』に収録された「Let's Go Get Stoned」を聴くと、演奏のなかにMinutemenの「#1 Hit Song」が姿を現す。「#1 Hit Song」は『Double Nickels on the Dime』収録曲だ。

 

youtu.be

タイトルからして皮肉である。Minutemenは巨大な商業的成功を目指すロックバンドとは正反対の場所にいた。その彼らが「ナンバーワン・ヒット・ソング」を演奏する。

そして、その曲をSublimeがライブで自分たちの曲のなかへ取り込む。

ここまで来ると、「Waiting for My Ruca」の冒頭に「History Lesson – Part II」をサンプリングしたことを単なる引用として片付けるのは難しい。

『Double Nickels on the Dime』はSublimeの音楽的語彙のなかにかなり深く入り込んでいる。

 

youtu.be

「Get Out!」では「It's Expected I'm Gone」のGeorge Hurleyのドラムもサンプリングされている。

 

youtu.be

 

そしてMike Watt自身もSublimeの「Wrong Way」のミュージックビデオに登場する。

 

youtu.be

 

点ではなく、線なのである。

San PedroからLong Beachへ

そして、この二つのバンドをつなぐものは音楽だけではない。

Minutemenの街はSan Pedroだった。

Sublimeの街はLong Beachだった。

どちらもロサンゼルス南部の港湾地域にある。

MinutemenにとってSan Pedroは単なる出身地ではなかった。彼らは自分たちを「Pedro」のバンドとして語り続けた。巨大な音楽産業が存在するLos Angelesのすぐ近くにいながら、その中心から微妙に外れた港町から音楽を作った。

約10年後、SublimeもLong Beachで似たことをする。ただし街から聞こえてくる音は変わっていた。パンクだけではない。スカがあり、レゲエがあり、ダブがあり、ヒップホップがある。ラテン系の文化があり、サーフィンやスケートボードの文化がある。

MinutemenがSan Pedroで行ったことを、そのままSublimeが繰り返したわけではない。同じ方法を使って、違う街を演奏した。そう考えたほうが面白い。

Econoという思想

youtu.be

 

Minutemenには「jam econo」という有名な言葉がある。安い機材を使い、自分たちでツアーし、余計なものを持たず、自分たちのできる範囲で音楽を続ける。

しかしeconoは単なる節約術ではなかった。文化を作るために巨大な制度から許可をもらう必要はない、という思想でもあった。だから「Punk rock changed our lives」という言葉は重要だった。

パンクによって彼らは特定のジャンルを手に入れたのではない。自分たちの生活を、自分たちの方法で文化にしていいという自由を手に入れた。

そして1990年代のLong Beachで、その言葉をサンプリングした若いバンドがいた。彼らはその直後、レゲエを演奏した。

それでよかった。

むしろ、それこそがD. Boonから受け取ったものだったのかもしれない。

MinutemenとSublimeは同じ音を鳴らしてはいない。

San PedroとLong Beachも同じ街ではない。

1980年代のハードコアと1990年代のスカ/レゲエ/ヒップホップ文化も同じではない。

それでも両者のあいだには一本の線を引くことができる。

それはジャンルの系譜ではない。

音楽を日常へ取り戻すための方法の系譜だ。

San PedroからLong Beachへ。

MinutemenからSublimeへ。

「Punk rock changed our lives」というD. Boonの声は、『40oz. to Freedom』の冒頭で、その線をこちらに教えてくれている。

かつて構想した4次元ワームを基盤とした広範な美的実在論について

ある黄色のボールが2個ある。その黄色は全く同一の黄色をしており、形やその他の部分でも同一の性質を持つ(Flank Sibley的に言えば、非美的性質の点で同一ということ)。

ポールはこの2つのボールは同じ色であり、同じ優美さがある主張する。ところが、ジョンはボールAを「赤が薄れた黄色であり、儚さを感じる」と主張し、ボールBを「青みがかったものから今にも熟れようとしている黄色で、生命の力強さを感じる」と主張する。というのも、ボールAは赤色から黄色を経て青いに変化するボールで、ボールBは青色から黄色を経て赤色に変化するボールであるからだ。今この瞬間は全く同じ黄色のボールではあるが、その来歴が違う。その結果、ジョンはこの2つにことなる形容を与えることになった。ポールとジョンの違いはどこから生まれるのだろうか?

基本的に分析美学において、物事の形容は非美的性質と美的性質に別れ、論者にもよるが、美的性質はその基盤として非美的性質に依存(専門用語ではsupervene)している。そのため、同一の非美的性質を持つ対象物(この場合のボール)は同一の美的性質を宿しているはずである。ポールの主張の根拠はここにある。

しかしながら、上記の説明からわかるとおり、このボールが同一の非美的性質を持っているのは、ある一時点である。黄色という性質を持つ前に、ボールAは赤色、ボールBは青色を持っていた。そのことを知って、知覚していたため、ボールAとボールBに異なる美的性質を付与することになった(一方は儚さ、他方は力強さ)。このポールの判断は以下に正当化できるだろうか。

ここで美的判断の対象物を4次元ワームとして考えることにする。4次元ワームとは対象物を時間軸を持った個物として扱う見方だ。そう考えると、ボールAとボールBはある一時点のスライスにおいては非美的性質において全く同一の黄色を示しつつも、全体としては色の変化による差異が発生し、異なる非美的性質を持つものと考えることができる。そして異なる非美的性質を持つ対象には、異なる美的性質が発現することは、上記の美的性質と非美的性質の依存性(supervenience)から正当化されるのである。

ようするに、ここで提起したいテーゼはこうである:

美的判断における非美的性質は通時的なものとして扱うことが可能で、美的性質はその通時的な非美的性質にsuperveneしている。

いろいろな問題に関わるまえに、この立場のメリットについて先に述べておこう。ひとつはこの広範な形のsuperveneを認めることで、美的実在論を拡張することができる。通常の美的実在論はある一時点の非美的性質と美的性質のsupervenienceを主張することで、一定の美的性質の実在を正当化する。「優美である」、「均整が取れている」など。しかし、私が規定した広いsupervenienceによる美的実在論は「巧みな構想が具現化されている」「熟練の技でつくられている」といったより広い美的性質の実在を正当化することができる。

目下のところ、対象物を4次元ワームとして考えた場合であっても、どこまでを非美的性質としてみなすかには多いに論争が巻き起こるが広くとれば、対象の材質、来歴、創作方法、創作者の意図、その他多くのものが候補に上がる。これらすべてを掬い取ろうとすると、4次元ワームとしての統一性が失われ、出来事タイプのようなものへ飽和してしまうという懸念もある。その成功の可能性は置いといて、とりあえずこのテーゼを擁護することを検討していきたいと思っている。そのためにやらなければいけないことをリストアップしておこう。

  • 非美的性質と美的性質の定式化(Flank Sibley)
  • 非美的性質と美的性質のsupervenienceと実在論(Nich Zangwill/Jerrold Levinson)
  • 四次元主義の哲学、特に性質の問題(Theodore Sider)
  • 関与的な美的性質と非美的性質のカテゴリー論を使用した区分け(Kendal Walton)
  • 創作者の指向性は関与的な非美的性質なのか?

Jamie Paige『Constant Companions』:海外ボカロシーンのクイア性

Jamie Paigeはシカゴのアーティストである。ボーカロイドと自身の声を併用したシンセポップを中心としており、BandcampやSpotifyを中心に人気を集めている。また初音ミクのDigitalStars2025の楽曲も手掛けている。

youtu.be

2024年リリースのアルバム『Constant Companions』は大きな注目を集め、今年7月11日にはDeluxe Editionがリリース予定だ。

Jamieの魅力は、様々なボーカロイドを扱いながらも、プログレッシブかつポップな楽曲をエモーショナルに昇華させているところだ。歌詞の内容はボーカロイドというテクノロジーの上で、自身のジェンダーに関する経験を象徴的に扱っている。

Jamieに限った話ではないが、海外のボーカロイドシーンにはクイア性が高い。これはちょっと考えてみたら当たり前のことかもしれないが、ボーカロイドというテクノロジがジェンダーを上書きする効果があるからだ。日本ではキャラクターの声として扱われることが多いボーカロイド楽曲だが、英語圏では自身の理想とする声として利用するといった具合か。自身のジェンダーを特定のボーカロイドに同一視する「VOCAgender」というような言葉もあるそうだ。

ロールプレイを促進するシステム:『GTAV』アライメントによるキャラクター役割

先にロールプレイを促進するゲームシステムについて言及したが、その中でも特に古典的な「アライメント」について今回はちょっと書いてみようと思う。

「アライメント(alignment)」という概念は、主にTRPGテーブルトークRPG)由来のもので、キャラクターの道徳的・倫理的傾向を表す要素である。その起源は、1970年代の『ダンジョンズ&ドラゴンズ(Dungeons & Dragons, D&D)』にさかのぼる。

最初期のD&Dには、アライメントは単純なもので、当初は:

  • Law(法)
  • Neutral(中立)
  • Chaos(混沌)

という秩序・混沌の3要素のみで構成されていた。

1977年の『Advanced Dungeons & Dragons』(AD&D)では、以下のような二軸9分類のアライメントが登場した。

  • 縦軸:倫理(Ethical axis)
    • Lawful(秩序):法、伝統、規律に従う
    • Neutral(中立):どちらにも偏らない
    • Chaotic(混沌):自由意志、個人主義、反抗
  • 横軸:道徳(Moral axis)
    • Good(善):利他主義、博愛
    • Neutral(中立):バランス、無関心
    • Evil(悪):自己中心、破壊的

「秩序にして善」とか「中立にして悪」とかそういうのだ。聞いたことがある人は多いだろう。ただビデオゲームでは一部のRPGをのぞいて、この9分類を律儀にそろえているゲームは少なく、主に3分類のアライメントが用いられることが多い。

話を戻すと、このアライメントの目的はおおよそ次のようなものがある。

  • キャラの行動原理を示す: どんな選択をする傾向があるか
  • 魔法やアイテムの効果に影響: アライメント限定の装備や呪文がある
  • 神格や宗教との関係: 神官は特定アライメントの神に仕える
  • 倫理的ジレンマをプレイに持ち込む: ロールプレイ支援として

TRPGではゲームシステムとナラティブが密接に関わっているので、アライメントがどちらの機能を持つのかははっきりと区別できない。しかしながら、ビデオゲームでは主にこのアライメントはゲームシステムに関わるものと、ロールプレイを促進するもの(主にナラティブな要素)に分けて考えることができる。

ゲームシステムとしてアライメントを明確に取り入れているゲームとしては、ウィザードリィシリーズなどを挙げることができる。ゲームシステムにもストーリーにも影響するものとして取り入れている事例は真・女神転生シリーズが挙げられる。ストーリーに関しては、「アライメント」と銘打ってないが、それを意識した会話などの選択肢を用意しているゲームはやまほどあるだろう。

こういった非明示的なアライメントの要素は気づくとなかなか楽しい。最近気付いた例でいうと、『GTAV』における3キャラクタースイッチシステムだ。ご存知のとおり、本作はフランクリン、マイケル、トレバーという3人をスイッチしながらゲームを進めていくが、この3名のキャラクターの書き分けがおおよそニュートラル、ロウ、カオスとなっているのである。プレイヤーキャラクターの分身としての性格が強いフランクリンは、ゴミ溜めのような日常から抜け出そうともがく野心のある若者だ。マイケルは引退した強盗であり、家族という守るものをもった中年男性だ。そして、トレバーはPTSDを抱えつつ周りをかき乱す魅力的なサイコパスだ。これらの性格や役割は明示されてないとはいえ、ニュートラル、ロウ、カオスにかなり一致しているのだ。

ゲームシステム(つまりパラメータやそういった類)には影響は与えないにしろ、この3つの役割分担はプレイヤーがキャラクターになりきることをうまく促進してくれる。フランクリンで王道なギャングスタの道を上り詰めつつ、マイケルでギャングと家族という相容れない要素で葛藤し、トレバーで大暴れする。プレイヤーにとってキャラクターの好き嫌いはあるとはいえ、このようなキャラクターがセットされていればこそ、遊び方がわかりやすく、キャラクターにも移入しやすい。またいわゆるキャラクターアークの予想もつきやすい。

アライメントは古典的なゲームシステムであるが、未だに利用され続けるロールプレイを促進する優れたシステムなのだ。

 

PSっぽい雰囲気のCGアーティストmiraimono

LE SSERAFIMの新曲MVで大々的にゲームグラフィックスを使っているものがあるのを知った。

ドット絵のMVは珍しくなくなったけど、これはPS世代の3Dグラフィックスを彷彿とさせるデザインも使われており、なかなか野心的だ。(MVの中にはゲームボーイやPC98のようなデザインも節操なくつまっている。ある意味でインディーゲーム的だと言えなくもない)。

この3Dワークを担当したのは韓国のmiraimonoというアーティストのようだ。この人はBjörk、Rosalía、Aphex Twin、Charli XCXなどの楽曲やアーティストをモチーフとし、PS1風のレトロ3Dグラフィックでトレーラー映像を制作している。

90年代のプレイステーションタイトルを思わせる、ポリゴンの荒さ・テクスチャの粗さ・独特のカラーリングを意図的に再現し、懐かしさと異世界感を融合させた作風が特徴で、音楽と共にゲームのオマージュを行っている。Rosalíaの曲を背景にした“ドゥーム風”スラッシャー演出、Bjorkがカタナを振るうアクションなど、現代の音楽×レトロゲームのクロスオーバー感が強い。どれも出来がいいのでいくつか貼っておこう。

www.instagram.com

これはAphex TwinのWindowlickerのMVをもととして、DOAのビーチバレーをやらせてみたという見事な発想。

www.instagram.com

こちらはビョークのHomogenicを使いつつ、キル・ビルみたいな剣戟+銃撃アクションのゲームにしたてた作品。

www.instagram.com

Charli XCXはGTA風になっている。

他にも面白い作品がおおいので、インスタグラムをチェックすると良い。

 

ビデオゲームにおけるロールプレイ:自由と制限の狭間で

ロールプレイとは、役(ロール)を演じる(プレイ)ことであり、ゲームに限った事柄ではないが、ビデオゲームはしばしばロールプレイを重視するアートである。その呼称の正しさはどうあれ、「ロールプレイングゲーム」といえば、ビデオゲームの王者たるジャンルとして君臨しているわけだから、最重要な要素と言っても良いだろう。

とはいえ、「ロールプレイングゲーム」のすべてがロールプレイを重視しているかというとそうではない。「ハック・アンド・スラッシュ」という言葉があるとおり、このジャンルには戦闘を重視してロールプレイを重視しない一派も存在しているし、一般的な「ロールプレイングゲーム」の定義は「プレイヤーキャラクターの成長が重視されるゲーム」というほど広がっているように思う。

ただ今回は狭義のロールプレイを考えることで、ビデオゲームでロールプレイが達成されるための条件と、それを誘発するシステムについて考えてみたい。

ビデオゲームにおけるロールプレイを考えるときに、2つの極がある。一方はそのビデオゲームにおけるシステム的な自由度である。実際には自由度が少ないRPGは珍しくない(特にJRPGは伝統的にその傾向が強い)。そのようなRPGにおいては、プレイヤーは演劇の演者ではなく、観客の位置に属して物語を鑑賞する。狭義のロールプレイにおいては、プレイヤー自体が演者でありながら、自らの行動を決定する自由を与えられていなければならない。

他方の極には、プレイヤーの選択肢に対する制限の意図が必要とされる。自由度が担保されたビデオゲームにおいても、ただ無軌道なゲームプレイをすることはロールプレイと呼ばれないように思える。というのは、それがなんらかの「ロール」であるためには行動原理に関するある程度の一貫性を持たなければならない。もちろん、ハチャメチャなゲームプレイをして「ハチャメチャなキャラクターを演じている」と主張すること(GTAのトレバーのような)はできなくもないが、多くのビデオゲームに求められるロールプレイとはそういうものではないだろう。

実際のビデオゲームのロールプレイはこの2つの極にまたがる形でスペクトラムを描いているだろう。最低限の選択肢しか与えられないJRPG、自由度が高い海外のオープンワールドゲーム。良し悪しは別として理想的なロールプレイとは、自由度が高いゲームシステムの中で、プレイヤー自らが設定したロールにふさわしい範囲で行動と選択を制限してプレイすることとなるだろう。(伝統的にこの問題はTRPGにおいて発達した議論のように思える。またこれは現実の我々の行動規範や卓越化に関わる人生の問題にも通じる)。

次に興味深いのは、ビデオゲームにはこの種の(狭義の)ロールプレイを惹起するシステムが備わっていることがあるということだ。例えば、いくつかのゲームで実装されるカルマや評判値のようなもの(RDR2など)。この手のパラメータはプレイヤーの行動によって一定の結果を与えることで、行動の制限をプレイヤー自らが行うように促す。その他にはTRPGを由来とするアライメントやプレイヤーキャラクターの出自をゲーム内に反映するシステム(CP2077など)。これらは間接的にプレイヤーがどう行動すべきかの指針を与えることでロールプレイを惹起する。

このようなシステムが存在することは、開発者はユーザーにロールプレイを楽しんでほしいという希望があることを意味しているように思える。しかし振り返ってみれば、なぜロールプレイをすることは楽しいのであろうか。私が思うに無軌道なゲームプレイもそれはそれとしてビデオゲームの楽しみのひとつである。この論点に関してはまた別の機会に考えてみたいとする。

ともあれ、このようなロールプレイを惹起するシステム(何か名前はありませんか?)について考えることは興味深い。開発者側からすると、プレイヤーにさせたいゲームプレイを誘導する技術であるわけで、手腕が発揮される重要な要素だ。実際に成功したシステムもあれば、あまり成功していないシステムもある(CP2077のライフパスなどはあまりうまく機能しているとは思えなかった)。またロールプレイは物語に関係する要素であるため、遊びと物語(ルドナラトロジー)の一貫性を作るための技術ともなりうる。今後、このようなシステムを具体例とともに見ていくのはビデオゲームの批評と創作に役に立つかもしれない。

 

謎のアーティストだったAlex G:GTAVでの邂逅

Bandcampで聞いていて、その背景がぜんぜんわからなかったアーティストとしてAlex Gという人がいる。

ローファイなインディーロックを基調としたその気だるい音楽は今っぽいチルな雰囲気を描写しており、Bandcampの中でも人気を博していた。自分も気に入って何度となく聞いていた。ただ、Alex Gという人が誰で何なのかはぜんぜんわからず(Bandcampのアーティストプロフィールもほとんど情報なし)、その匿名的なアーティスト名と共に謎めいた魅力を秘めていた。

時は10年ほど経過して、何故か今頃GTAVをプレイしていた。その中のラジオでフランク・オーシャンがキュレーションとDJを務めるblonded Radioというチャンネルがある。もともとはAppleのために作られたプログラムらしいが、GTAVのDLCと共に追加されたチャンネルらしい。フランク・オーシャン自身の曲のほか、カーティス・メイフィールドマーヴィン・ゲイなどのソウルクラシック、Futureなどの最近のラッパー、Aphex Twinといったテクノも含め、ボーダレスにフランクの趣味が繰り広げられている。その中に(Sandy)Alex Gというアーティストが(私には)なんと入っているではないか。

その後、調べたところによると、Alex GことAlexander Giannascoliは、アメリカ・ペンシルベニア州出身のシンガーソングライター、プロデューサーであり、Bandcampでのヒットをもとにフランク・オーシャンのアルバム『Endless』や『Blonde』への参加を経て、国際的な評価を獲得したアーティストであるということがわかった。

彼の音楽は、エリオット・スミス、モデスト・マウス、レディオヘッドエイフェックス・ツインなどから影響を受けており、内省的な歌詞と実験的なサウンドが特徴で、特に、2022年のアルバム『God Save the Animals』では、信仰や成長といったテーマを取り上げ、より音楽的進化を示したとされる。

2024年には来日公演もしているようで、宮崎駿のアニメや『ELDEN RING』のような日本のカルチャーが好きだとも発言している。

この話は単に個人的なエピソードにすぎないけど、前回のエントリにあった音楽を巡るキラキラはこういった偶然の一致にも宿るのではないかと思い、ここに記しとくことにする。