Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

ビデオゲームにおけるロールプレイ:自由と制限の狭間で

ロールプレイとは、役(ロール)を演じる(プレイ)ことであり、ゲームに限った事柄ではないが、ビデオゲームはしばしばロールプレイを重視するアートである。その呼称の正しさはどうあれ、「ロールプレイングゲーム」といえば、ビデオゲームの王者たるジャンルとして君臨しているわけだから、最重要な要素と言っても良いだろう。

とはいえ、「ロールプレイングゲーム」のすべてがロールプレイを重視しているかというとそうではない。「ハック・アンド・スラッシュ」という言葉があるとおり、このジャンルには戦闘を重視してロールプレイを重視しない一派も存在しているし、一般的な「ロールプレイングゲーム」の定義は「プレイヤーキャラクターの成長が重視されるゲーム」というほど広がっているように思う。

ただ今回は狭義のロールプレイを考えることで、ビデオゲームでロールプレイが達成されるための条件と、それを誘発するシステムについて考えてみたい。

ビデオゲームにおけるロールプレイを考えるときに、2つの極がある。一方はそのビデオゲームにおけるシステム的な自由度である。実際には自由度が少ないRPGは珍しくない(特にJRPGは伝統的にその傾向が強い)。そのようなRPGにおいては、プレイヤーは演劇の演者ではなく、観客の位置に属して物語を鑑賞する。狭義のロールプレイにおいては、プレイヤー自体が演者でありながら、自らの行動を決定する自由を与えられていなければならない。

他方の極には、プレイヤーの選択肢に対する制限の意図が必要とされる。自由度が担保されたビデオゲームにおいても、ただ無軌道なゲームプレイをすることはロールプレイと呼ばれないように思える。というのは、それがなんらかの「ロール」であるためには行動原理に関するある程度の一貫性を持たなければならない。もちろん、ハチャメチャなゲームプレイをして「ハチャメチャなキャラクターを演じている」と主張すること(GTAのトレバーのような)はできなくもないが、多くのビデオゲームに求められるロールプレイとはそういうものではないだろう。

実際のビデオゲームのロールプレイはこの2つの極にまたがる形でスペクトラムを描いているだろう。最低限の選択肢しか与えられないJRPG、自由度が高い海外のオープンワールドゲーム。良し悪しは別として理想的なロールプレイとは、自由度が高いゲームシステムの中で、プレイヤー自らが設定したロールにふさわしい範囲で行動と選択を制限してプレイすることとなるだろう。(伝統的にこの問題はTRPGにおいて発達した議論のように思える。またこれは現実の我々の行動規範や卓越化に関わる人生の問題にも通じる)。

次に興味深いのは、ビデオゲームにはこの種の(狭義の)ロールプレイを惹起するシステムが備わっていることがあるということだ。例えば、いくつかのゲームで実装されるカルマや評判値のようなもの(RDR2など)。この手のパラメータはプレイヤーの行動によって一定の結果を与えることで、行動の制限をプレイヤー自らが行うように促す。その他にはTRPGを由来とするアライメントやプレイヤーキャラクターの出自をゲーム内に反映するシステム(CP2077など)。これらは間接的にプレイヤーがどう行動すべきかの指針を与えることでロールプレイを惹起する。

このようなシステムが存在することは、開発者はユーザーにロールプレイを楽しんでほしいという希望があることを意味しているように思える。しかし振り返ってみれば、なぜロールプレイをすることは楽しいのであろうか。私が思うに無軌道なゲームプレイもそれはそれとしてビデオゲームの楽しみのひとつである。この論点に関してはまた別の機会に考えてみたいとする。

ともあれ、このようなロールプレイを惹起するシステム(何か名前はありませんか?)について考えることは興味深い。開発者側からすると、プレイヤーにさせたいゲームプレイを誘導する技術であるわけで、手腕が発揮される重要な要素だ。実際に成功したシステムもあれば、あまり成功していないシステムもある(CP2077のライフパスなどはあまりうまく機能しているとは思えなかった)。またロールプレイは物語に関係する要素であるため、遊びと物語(ルドナラトロジー)の一貫性を作るための技術ともなりうる。今後、このようなシステムを具体例とともに見ていくのはビデオゲームの批評と創作に役に立つかもしれない。