Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

音楽が”キラキラ”するためには:ユーザー価値が高まるプラットフォームの重要性

先日こういうブログエントリを読んだ。

note.com

このブログ記事「音楽産業は"キラキラ"を取り戻せるのか?」は、筆者が入院を経験したことをきっかけに、人生の儚さと「今を楽しむ」ことの重要性に気づき、退院後にソーシャルゲームに課金して楽しんだ体験が語られている。

筆者は、ソーシャルゲームにおける「所有感」や「想像力」が、ゲームの世界観やキャラクターへの愛着を生み出し、課金を促す要因となっていると指摘。一方で、音楽産業では、サブスクリプションの普及により「所有感」や「想像力」が薄れ、アーティストとの関係性が希薄になっていると感じているという。

さらにブラックメタルバンドのEMPERORのインタビューを引用し、かつての音楽体験が「想像力」や「神秘性」に支えられていたことを紹介し、現代の音楽シーンでは、SNSやストリーミングの影響で情報が過剰になり、アーティストの神秘性が失われていると述べる。

最終的に、筆者は音楽の「キラキラ」を取り戻すためには、アーティストがリスナーの想像力をかき立てるような工夫を凝らし、神秘性を保つことが重要であると結論づけている。

音楽雑誌とCDで育った自分としてもこういった意見にはうなづかせられるところはあるものの、いやまだ時代の移行期だからじゃないのっていう気もしている。現代のSNSとストリーミングの情報の飽和は認めるものの、それはそれらのプラットフォームが音楽の魅力を感じさせるものになっていないだけで、主観的な「想像力」や「神秘性」といった問題で片付けることではないと思う。

実際のところ、ビデオゲームはほとんどがデジタルに移行しているが、所有に関する欲望はライブラリを充実させるという意味で消えてないと思う。Steamを例にすれば、Steamには自分のライブラリを晒すこともできるし、プロフィールで珍しい実績を自慢することもできるし、貴重なトレーディングカードを集めることもできる。まあSteamのやり方は少々強引ではあるのだが、ゲームを買い、ゲームをプレイすることでユーザーに価値を与えようとする意思は明確に感じられる。

その点、このブログの冒頭でソーシャルゲームの例が挙げられるのは示唆的だ。なぜただのデータにお金を払うのか。それはそれが価値となるユーザーベースが存在するようなプラットフォームとして機能しているからだ。だから人気のないソーシャルゲームのURカードにはそんな価値は出ない。人気があるから価値がでるという身も蓋もない経済原理がここには働いている。

では音楽プラットフォームもURみたいな音源を配ればいいのか(実際にフィジカルの世界では豪華版やいくつものバージョン違いが制作されているが)。個人的にはそうあってほしくはないと思う。音源は音源として同じものが流通すれば良い。重要なのは、どういった音源をどういったセンスで購入しているのかといった可視性が必要だと感じている。ユーザーが音源を買うことでユーザー自体の価値があがる。そういうシステムが理想だろう。

事実、Bandcampではユーザーのライブラリは晒すことができ、特定のユーザーをフォローしてチェックした音源をフィードから観察することも可能だ。今のところBandcampのSNS機能は非常に原始的なところにとどまっているが、やりようによってはもっとできることはあるだろう。特定のジャンルの音源を集めた人にバッジを与えるとか、視聴回数に応じて何らかの特典を出すとか、やれることは多い。キュレーション機能を強化するのも良いかもしれない。

結局、現状のメジャーな音楽プラットフォーム(SpotifyApple Musicなど)が単なる音楽が出る蛇口でしかないのが問題で、音楽が”キラキラ”する方法はまだまだあるはずだ。