オフマイク唱法の美学:エモとスクリーモ
オフマイク唱法というものがある。私が勝手に名付けたものだが、その意味するところは、「マイクから離れた(オフマイク)ところで発声されたようなボーカル音の表現技法」といったようなところだ。クルーナー唱法がそうであるように、これは歌い方でありながら、マイクという楽器を使ったテクニックであり、同時に録音物を制作するときの編集・加工技術でもある。現実にオフマイクで発声した音を録音することもあれば、イコライザーとリバーブのエフェクトなどでそのようなサウンドを再現することもある。
なにはともあれ、具体例を聞いてみるのが早いだろう。以下の音源はSpotifyのプレイリストにもまとめてみた。
『13 songs』から1曲目の「Waiting Room」だが、この時点で初期Fugaziはオフマイクの響きを効果的に使っている。イアン・マッケイのボーカルが内向きの内省的な響きを感じさせるのに対して、ギー・ピチョットのボーカルはオフマイク気味に反響する。明暗法とでも言えるその対比は、サウンド的な面白さはもちろん、内面での対話のように歌詞とも響きあう。
マイクから離れて(オフマイクで)発せられる声は、端的に遠くから響いているように感じさせ、低音と高音が弱まり、中音域中心のこもった音の印象を与える。これがどのような意味を持つのかを、主にエモ/スクリーモの実際の例と共に見ていこう。
At the Drive-Inの初期作からピックアップしたが、ツインボーカルのジム・ワードのパートが遠くから聞こえてくる。それはセドリック・ビクスラー=ザヴァラの激しいリードボーカルを補完するような役割を果たしながら、Fugaziと同じく対話のように響く。ただFugaziの「Waiting Room」が自問自答のようだったのに対して、「Star Slight」のオフマイク唱法は自分自身を鼓舞するような明るさと開放感を感じさせるものだ。
Midwest Emoの中ではBraidもツインボーカルでうまくオフマイク唱法を利用している。この「First Day Back」では、オフマイク側のシャウトは歌というよりもコール&レスポンス的なニュアンスを感じさせる。バンドの音というよりも、熱狂したオーディエンスが投げかけるレスポンスのようだ。結果、サウンドのライブ感が増しているのだ。
ツインボーカルでなくてもMidwest Emoでは、比較的オフマイクでのボーカル音が目立っている。Mineralの「Parking Lot」では、静かな内省的なボーカルがややオフマイク気味で始まり、曲のクライマックスでシャウトする。ここで表れている表現は孤独感や焦燥感といったニュアンスのもので、やはりEmoというジャンルを構築するためにオフマイク唱法は重要な役割を果たしているように思える。
少し変わった例ではCap'n Jazzによるa-haのカバー「Take On Me」を挙げることができる。ティム・キンセラによるボーカルはかなりオフマイクで録音されており、どこか不真面目な感じを匂わせてくる。そもそもa-haのカバーというもの自体がネタという感じがするが、オフマイクで音程も外して歌うその姿はある種の遊びやオフテイク感を感じさせるとともに、録音のドキュメンタリー性を浮かび上がらせているだろう。
EmoリバイバルからはAlgernon Cadwalladerから一曲ピックアップ。前述のキンセラ兄弟に強く影響を受けた彼らだが、ボーカルスタイルもオフマイクのシャウトが中心だ。部屋の中で絶叫している姿が脳裏に浮かぶようなスタイルは、やはりEmoの持つ中心的なサウンド表現のひとつであり、感情的な爆発を感じさせる。
少し方向性を変えてScreamoのシーンを見てみよう。Emoの中でもシャウトを多様するScreamoだが、ここでもオフマイク唱法は巧みに使われている。初期のScreamoの重要バンドSaetiaの「The Sweetness and the Light」では、クリーントーンのギターの上に極端なオフマイクのボーカルがのせられている。やはりここでも孤独感や閉塞感のような感覚を生じさせ、後半のギターの爆発と共に一気に叫び声に変化する。ツインボーカルの多声的表現ではないが、ここでもオフマイクを利用した明暗法、強弱法が使用されている。
同じような表現はリッチモンドのCity of Caterpillarにも通じる。冒頭、ドラムとボーカルだけの演奏だが、ボーカルはかなり遠くから聞こえる。その後、ギターと共にオフマイクでのシャウトが怒涛のように流れ込む。Screamoにおいても、オフマイク唱法は孤独感、閉塞感、感情の爆発といったものを表現するための常套手段となっているわけだ。
Screamoの中で変わり種としてはpageninetynineが挙げられる。多人数バンドとして知らえれる彼らはボーカル自体の多さはともかく、オフマイクでの絶叫がパニック的空間演出に使われており、ライブの混沌を録音に持ち込んだような印象を与える。言うならばお化け屋敷的オフマイク唱法とでも言えるのかもしれない(笑)。
もうひとつ変わった事例としては、初期のScreamoバンドのOrchidの「Lights Out」。オノマトペのようなセリフがオフマイクで呟かれ、それ自体がギターリフをリードすることになる。ここに来てオフマイク唱法は少しスポークンワードのような様態を示すことにもなってくる。歌うのではなく、語る。そういったニュアンスを比較的オフマイクでの表現によって表されているのだ。
スポークンワードというか語りとしてのオフマイクという意味ではLa Disputeが忘れることができないだろう。その情熱的な語りもややオフマイクで取られており、アンビエンス感が情感を引き立ててくれる。直接的なシャウトや激しいギターリフがなくても、ここまでパッションのある楽曲ができるのだということに驚きだ。
最後はアメフトで締めよう。キンセラ兄弟のオフマイク唱法はCap'n Jazzのときに比べたら控えめになっているが、それでも内省的なそのボーカルスタイルは空間の味を溶け込ませるようにオフマイクで表されている。ボーカルが遠くで鳴っているように聞こえるというその感覚はノスタルジーや切なさ、思いの届かなさといった、いわゆる「エモい」感情をかりたたせてくれる。ギターリフや複雑な楽曲構成に目が行きがちなEmoというジャンルだが、マイクの使用方法やボーカルのミックスの仕方にも十全たる美学が存在することをわかってもらえれば幸いだ。