Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

ゲームメカニクスへの好奇心:ツーテンジャックの思い出

ゲーム好きであれば、日常的にゲームのルールにあれこれ思案したり、新しいゲームを考えてみたり、あのゲームのここはいかんな、こうしてみてはどうかとか改良を思案したりするものだが、このようなゲームメカニクスへの好奇心はどうして培われたのだろうか。

私個人に限っては、小学生の頃から1人で将棋の駒を的にして輪ゴム鉄砲で撃つ遊びを考えたり(ただ撃つのではなく、スキルのような特殊撃ちを考案していた)、友人とカーラリーを模したサイコロゲームを作ったり(基本的に残りの走行距離をサイコロで減らしていくという単純なものだが、移動ターンの他、攻撃ターンがあるというマッドマックスのようなラリーだった)、ノートに地図やクラス設定を書いた和風RPGを考案したり(クラスとしては僧兵や陰陽師を想定してた)、格闘ゲームの技表をつくったり(これは具体的なのはなかった)、日常的にゲームを考案するようなことはしていた。ただしいつからそんなことをするようになったかはほとんど覚えていない。普段から父と将棋をしたり、友人宅でビデオゲームにふけったりする自分としては、ごく当たり前にやっていたとしか言いようがない。

ひとつきっかけのようなものがあるとすれば、私は幼い頃からゲーム関連の書籍を与えられることがあったことだ。将棋の指し方やトランプの遊び方などという他愛のないものであったが、これらの入門書が私のゲームメカニクスへの好奇心に火を点けていたのは間違いない。将棋は遊べても父相手でしかできなかったため、矢倉や美濃囲いといった陣形や居飛車穴熊や四間・三間飛車といった振り飛車戦法にすっかり心奪われ、まだ見ぬ対戦相手にあれこれ思案することはままあった(実際には我流の三間飛車しかつかえなかったが、いつしか父には無敗になってしまった)。

トランプの方はというと、こちらも遊べる機会は親戚その他のあつまりくらいであり、ルールはせいぜいババ抜き、七並べ、スピードくらい。友達とは大貧民をするだけであった。しかしながら、私はトランプの書籍(今探してみると澄川町美という人の『トランプ・花札の遊び方』であったようだ。取り立てて優れた本ではないが、私はこの本を100回は読んでいると思う)に取り上げられている他のゲームを遊びたくて仕方がなかった。あくまでも頭の上でだが、「うむ、このゲームはよくできているな、こっちは多分つまらない運ゲーだろう」とシミュレーションする毎日で実際で遊べた機会はかなり少ない。逆にこのようなルールだけを吟味する機会が私のゲームメカニクスへの好奇心を生んだ可能性は否定できないだろう。

そんな中、ひとつのゲームに関してはその後、実践できるようになった。それは「ツーテンジャック」というトリックテイキングゲームのバリエーションの「ダブルマイナス」だ。トランプの本を読んでいるうちに、私はトリックテイキングというメカニクスがトランプ(というかプレイングカード)の王道だという認識を強めていた。さすがにコントラクトブリッジを解説するような書籍ではなかったため、「セブンブリッジ」でお茶をにごしていたが、この手のメカニクスの可能性を高く期待していた(あくまでも机上どころか頭上でだ)。そして、「ツーテンジャック」よりもマイナス得点が多く、射幸性が高い「ダブルマイナス」に強く惹かれていたのだ。

高校に進学した私はゲーム好きと思しき友人たちに放課後、このゲームを教え、実践し、いつしか友人たちも夢中になるようになった。トリックテイキングという古式ゆかしい形式は他の子供っぽいゲームに比べると格調の高さを感じさせてくれたし、ちょうど麻雀を覚え始めた高校生の息抜きには悪いものではなかった。そして実際に面白いゲームなのだ。

一時的な流行病のようにクラスの数名の中で「ダブルマイナス」が行われ、ついには金を賭けることにもなった。ただし醒めるときも一気に醒めたように思える。おおよそ1ヶ月くらいのめり込み、我々はまたサッカーや麻雀といった違ったことに興じるようになった(ちなみにサッカーはガリガリ君を賭けてやっており、「ガリ杯」と称していた)。

ともあれ、私にとって一番大事なことは、素晴らしいルールと思えるゲームは実際に遊んでも面白いということだ。もちろん、ゲームは創発的なもので実際に遊んでみるまでわからないものが多い。しかしながら、こうして現在もゲームの仕事をしている私にとってこのようなゲームメカニクスの好奇心、そして面白さが結実するかどうかの予想能力は必須たる洞察力となってるように思える。