Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

(ドラフト)ビデオゲームの美的判断における内在的質と外在的質について

別に論文書くとかはないかもしれないが、とりあえず今日思いついたことをメモ。このふたつの区別については、我々ゲームライターは実践の場で取り組むべき問題であり、一定の有用性もあると思われる。

1. 問題の所在

我々ゲームライターはビデオゲームを評価する際に、様々な部分を考慮に入れる。ゲームデザインレベルデザイン、ビジュアル、キャラクター、背景、アニメーション、ストーリー、バグの少なさ、UI、チュートリアル、価格とボリューム、マルチプレイの品質(いわゆるネットコード)、マルチプレイのユーザーの規模、ゲームの難易度のバランスなどなど。もちろん、これらの諸要素すべてを考慮に入れることは少なく、アドベンチャーゲームならばストーリーが重視され、MOBAのようなタイトルならマルチプレイの品質は重視される。またライターによっても、どれを評価するかは異なってくるだろう。

つまり、ビデオゲームのレビューという行為にはこれらの要素の個々の美的判断を行う以前に、どの要素を判断すれば良いかという問題がある。これはしばしばライターを悩ませる問題だ。以前、私は「ゲームレビューにまつわる5つの問題 - IGN JAPAN」という記事で部分的にこの問題を取り上げていたが、直接、検討したことがなかった。よってここでその問題を考えてみたい。

先に問題の明示化とそれへの解答を提示したい。

問題:ビデオゲームの美的判断において、重視されるべき要素はなにか?

解答:ビデオゲームの美的判断において、重視されるべき性質はビデオゲームの内在的性質である。

以下では以上の仮説に従って、ビデオゲームの内在的性質と外在的性質を説明し、なぜ内在的性質がビデオゲームの美的判断において重視され、外在的性質は重視されないかを説明したい。

2. 美的判断とは

(ここはほぼFrank Sibleyの立場から説明すればいいんじゃないかと検討している)

3. ビデオゲームの内在的性質と外在的性質

とりあえず分類すると……

内在的性質:ゲームデザインレベルデザイン、ビジュアル、キャラクター、背景、アニメーション、ストーリー、バグの少なさ、UI、チュートリアルマルチプレイの品質(いわゆるネットコード)、ゲームの難易度のバランス

外在的性質:価格とボリューム、、マルチプレイのユーザーの規模

以上の分類はそれなりに理解可能なものだと思うが、議論としては明確に示す必要があると思われる。内在的性質に関しては、再びFrank Sibleyの立場に立てば、作品そのものに属している非美的性質とそれに依存する美的性質の集合として考えれば良いと思う。外在的性質をうまくくくるのはなかなか難しいのだが、いわゆる文脈的性質、関係性質としてくくることが可能ではないかと思っている(値段やマルチプレイのユーザーの数が文脈なのか関係なのかよくわからない。もしかして様相を利用したりする必要があるのかもしれない。このあたりは哲学プロパーの人に聞いてみたい気がする)。

ちなみにビデオゲームのレビューという実践には必ずしも、内在的性質だけが重要ではなく、ときに外在的性質に触れることもある。これはレビューが必ずしも美的判断だけを行っているわけではないということに起因すると思われる。

4. 美的性質とビデオゲームの難易度

3までで当初の問題は解決されたと思う。ここではこの仮説から帰結するいくつかの興味深い事実について紹介したい。

ひとつ思いついたのは、「ビデオゲームの難易度はそれ自体が美的性質、もしくはなんらかの美的性質を決定づける内在的性質である」という主張だ。別の言い方をすると「あるビデオゲームの難易度が変化すると、そのビデオゲームの美的性質は変化し、それに対する美的判断も変化する」ということである。

念頭に置いている具体例は、『Cuphead』の難易度に関する議論である。しばしば、本作の難易度は度を越したものであり、より多くの人間がそのビデオゲームを楽しむために、もっとやさしい難易度を持つべきだと主張された。

ところが、ここでの仮説によれば、難易度は内在的性質であり、それは美的性質をなんらかの形で決定するため、結果として美的判断も変わりうる。

もうひとつの議論を呼ぶ帰結は、マルチプレイのユーザーが少ないゲームは、それ自体として美的な欠点ではないということである。ユーザーが少ない理由はもちろんそのゲームの美的な欠点に由来するかもしれないが、ユーザーが少ないこと自体は外在的性質である。ゆえに、この世界には不幸にもマルチプレイが過疎ってしまったが、実際には素晴らしいゲームはあるということになるだろう。

今後の方針

自分で書いてて、そこまで深い問題でも無い気がしてきたので、なんか盛り上がったらまた書こうとは思う。どちらかと言えば、4みたいな事例に対してはっきりとした意見を持ちたいというモチベーションが中心な気がするので、具体的な事例として思いつくことがあったら書き足そう。