Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

やはりSTEINS;GATEは面白い

アニメ版の『シュタインズ・ゲート ゼロ』が始まった。ゲームの方はやってないが、Steam版がこの後出るらしいので、それを待つまでアニメを見ようと思う。大体、中盤からゲームやって、アニメと同時にfinishするのがいいのかもしれない。

それにしてもだな。それにしてもこの『ゼロ』の設定が素晴らしいと思うんだ。細かいところはこっちの記事でも読んで欲しい。なかなかうまくまとまっている。

TVアニメ『シュタインズ・ゲート ゼロ』放送開始直前!ゲーム版シュタゲゼロの紹介と、アニメ版シュタゲゼロの見どころ

ポイントはというと……岡部倫太郎と出会っていない牧瀬紅莉栖がAIとなって登場するというところ。これは有り体に言えば、記憶喪失になった恋人とのラブロマンスっていうかなりベタな話。だけどAIっていう設定になるだけで、非常にSFとしても興味深いし、ベタさをうまく隠している。相手は知らないけど、自分はものすごい記憶(それも常人を超えた世界線をさまよった記憶を持っている)恋人に対する思いというのは、それ自体ベタにエモいものであるけど、AIっていうことでいろいろ思考実験になり、そのベタさは消え、純粋に恋と記憶について考察することができる。

例えば、牧瀬紅莉栖自体は美人だし、頭いいし、実験大好きっ子だし、普通の男が好きになるには十分なのだが、岡部倫太郎が彼女を愛しているのは、一重にあの世界線において唯一の理解者であったからだろう(鈴羽とかもそうなり得たが、彼女には彼女の目的があったからちょっとピュアな関係ではない)。ぶっちゃけ、このプロットからはたとえ、牧瀬紅莉栖と岡部倫太郎が男女の関係でなくてもそれ相応の信頼関係、いやたとえ同性であって愛情関係にすら至ってもおかしくないとすら思う(その点ではまゆしぃはおかりんの子供のような存在で無条件に守るものであり、紅莉栖との間に成立する信頼や愛情とは異なる)。

今回はそういった共有した体験が一方にはかけているが、それでも岡部倫太郎は彼女を愛して信頼するのだろうか。物語としてはもちろんそうなるはずだろう(違うかもしれないけど…)。ではそこで彼が彼女を信頼する理由は何だろう。事実として起こってない世界線である以上、それは経験というより牧瀬紅莉栖という人格への信頼、もしくは愛情となるのだろうか。しかも意識があるのか定かではないAI、つまりはある種の可能性への愛みたいなものがこの話のテーマになるのだろうか。

こうして考えるとこの形而上学的な設定のロマンスはなかなか興味深い。愛と恋とか無視してもなかなか興味深く、可能性に対する信頼みたいな点で考えると普通に実存主義のような話にも思えてくる。

ただこういったピュアな意味でのロマンスと思考実験の特徴は実は前作から一貫していて、この点こそが私が本作をすごく評価しているポイントだ。以前、適当に書いたのは以下だから適当に読んでくれ。

shinimai.hatenablog.com

まあ実際、見て(プレイして)みた結果、買いかぶりかもしれないが、やはり設定だけでも只者ではないなっていう感じがする。この設定自体はゲームやアニメより先にスピンオフ版の小説『STEINS;GATE 閉時曲線のエピグラフ』を元にしている(というか原作のようで)らしくて、たきもとまさしというライターの方のものらしい。『メモリーズオフ』なんかにも関わっているようなので、今後、ちょっと注目してみたい才能だ。