誰得ゲームレビュー2:サウンドトラックが世界を作る『Lone Survivor』
Jasper Byrneというゲームクリエイターをご存知だろうか。インディークリエイターの中では有名な彼だが日本ではイマイチ知名度はない。それもそのはず代表作の『Lone Survivor』はローカライズされていないからだ。実は私もまだ通してプレイしていない。このコーナーはプレイしてないゲームについても勝手にピンポイントで語るので今回は『Lone Survivor』を扱いたいと思う。
謎の伝染病が蔓延したポストアポカリプスの世界。生きているものはほとんど見当たらず、ただゾンビのようなモンスターから逃げる他がない。初期の『サイレント・ヒル』に影響を受けた本作は2Dドット絵のサイドスクロールという点をのぞけばありがちなアドベンチャーだろう。
もちろん、カルト的にヒットした本作。そのストーリーが多くのものを魅了した(らしい)。自分のつたない英語能力が素晴らしいナラティブを破壊することを恐れた私は途中でプレイを投げ出してしまった。しかし、そんな私でもこのゲームが描く雰囲気の一部が稀有なものであることはこの音楽からだけでもわかる。
枯れたクランチギター、4度(5度)のループ超シンプルなコード進行、穏やかなシューゲイザーロック。まあ別にそこらのインディーバンドが作っても珍しくない曲だが、これがゾンビもののアドベンチャーゲームのサウンドトラックであることが驚きだ。しかも2Dピクセルアートというスタイルの。
この曲を聞いたとき、この曲のために用意された場面、演出、ストーリーがあると知って、これは真剣に取り組むべきゲームだと思った。まあその結果、腰が重くなってまだプレイしていなんだけど。
結局、何かといえば、本作はアートなんである。最近のインタビューでも彼ははっきりと主張している。
商業的な判断に動機づけらた商品というよりも、「アート」を作ろうと決めている。
"I am determined to try (and fail if need be!) to make ‘art,’ rather than products, things motivated by commercial considerations."
そして2Dのピクセルアートですら、予算や自分の能力不足ゆえの「美的選択」であって、特に「レトロゲーム」に思い入れがあるわけではないようだ。
こんな彼のバックグラウンドは上のインタビューでわかるとおり、予想以上に「アーティスト」だ。ドクター・フーの脚本家の父を持ち、ZX SpectrumやAmigaといったシーンに触れ、90年代末のドラムンベースのシーンで活躍したDJなのだ。日本でレジデントDJをしていたころもあり、その時、アニメーター/アーティストの森本晃司と出会った。
そんな彼がゲームを作り出しのは2000年後半になってからのようだ。いくつかのフリーゲームのリリースを経て、その才能は『Lone Survivor』で花開く。既にアーティストであった彼がゲームをアートとして捉えたことは興味深いし、実際そのストーリー、アート、サウンド、演出を見れば彼の意気込みはわかるのだろう。
この後、ゲームクリエイターとしての活動はなりを潜め、インディーの大ヒット作でありカルト作となった『Hotline Miami』のサウンドトラックを提供するくらいしか表立った活動はしていなかった。
しかしながら、彼の提供したトラックはどのトラック以上にも『Hotline Miami』の世界観をはっきりと描いている。それもそのはず、Cactusと彼は以前から交流があり、レフンの『ドライブ』にハマったのも二人の交流の結果であったようだ。
まあこういうわけで、Jasper Byrneという人物は極めて興味深いのであるが、最近になってようやくTwitterとか更新して、生存確認したからこのブログを書きました。またゲームも作ってくださいね。
誰得ゲームレビュー1:sextの快楽『Life is Strange』
仕事でゲームレビューしているときは(特に紙)、少ない言葉でそのゲームの根幹を撃ちぬくことを目指していた。だが俺はもうライターではない。だからどうでもいいことを書く。誰に通用するかもわからない、俺だけのゲームレビューを。と書いてみたが、別にシリーズ化するつもりはないぞ。好評ならば考えるが。
今回扱いたいのはスクエニパブリッシングでDONTNOD Entertainment が開発した意欲作『Life is Strange』にフォーカスを当てたい。タイムリープ能力を持ったアメリカの地方の女子高生をテーマとした作品。その日常的な題材からもうリリース前から興味を持ってたし、実際英語版をやってこれはすごいと思っている。もうなんというかジョン・ヒューズあたりの学園映画モノが好きな人は絶対やったほうがいい作品で、スクエニはよくぞパブリッシングした、ぜひともSteamにも日本語ちょうだいねと思う次第。
ということで、英語なんだけど、これはこれで英語でやるのは楽しい。等身大の女子高生(というか写真を学んでいる専門学校生という感じだが、写真というテーマもまた小賢しく良いが)が英語で会話するのが生で伝わってくる。NerdやJocksといった定番ネタも出てくれば、「この子はレティーナディスプレイだ」とか「こっそり忍び込んで映画版ファイナルファンタジーを見れるわ」とかナウな表現を使う。
中でも物語上(ep1)、重要なタームとして「sext」という言葉た登場する。なんだかルームメイトみたいな二人の女の子が喧嘩しているんだが、その理由として「だってあんたがZacharyとsextしてたんでしょ」というようなセリフが出てくるのだ。最初は親友の友達に男を盗られて怒っているのかなと思った(恐ろしいこの学校は)が、よくよく調べてみればsextとは……
つまりメールとかSMSとかでエロい言葉を送り合うこと、あえて日本語でいうとチャHとなる(爆)。なーんだ、ただそんなことで怒っているのか、さすが若けーなって思ったけど、まあ怒るかww 一気に展開が良い意味で馬鹿らしく見えて微笑ましく感じてくる。
こういったちょっとしたエピソードにもありそうな話を持ってくるのが本作の素晴らしいところだけど、それとは別にこのsextなる概念、明らかにインターネット語の言葉のようだが、いったいどうやって訳すべきなんだろう。さすがにチャHはねーよなw っていっても「あんたZacharyとメールでイチャついていたんでしょ」だと全然インパクトもないし。
だいたいこのsextってどういうった内容からsextになるんだろうか。suggestive textとなると、「今度一緒に蟹でも食おう」とか日本ではsextにならない(ならねーか)?でもだったらもう露骨に「君の◯◯がXXだよ」みたいなのか?それはそれで高校生がやっているとしたらなんか嫌だな。
そもそもtextの解釈とはそれ自体、エロスの発露であって、誰しも固有の解釈があり得る。たとえ料理のレシピ本にすら欲情する男はいるのだと、タイトルの元ネタ的には言いたくなるところもある。なので実際にどういった文面がsextなるものか調べてみた。
と調べてみたが、どうもネタ画像しか見つからない。だいたいがジョークに落ちているか、間違ってポストして恥ずかしいみたいなのが多い。
これはなんかわかりやすいの。結構、わかりづらいネタも多く、やっぱSMSでやるのが基本のようだ。露骨なやつもあったので後は各自調べるように。どちらかと言えば壮麗な官能小説ではなく、やはりこれは「チャH」と呼ぶべき何かだろうと思いました。ただ「チャH」なる言葉の響きはsext以上に軽く馬鹿っぽさが半端ないゆえ、翻訳者は頭を抱えるでしょう。日本語版が楽しみです!!
Bandcamp いつからか11月
既になんのブログかわからなくなったけど、自分で聞くとき便利なので、音源メモだけはやりたい。正直、仕事が忙しすぎてたいして音楽聴けてないんだけど。そしてこれ5年くらい言っているけど、音楽話する友人とかいなくて、非常に孤独感強い。まじでアイドルブームとか死ね、日本の音楽産業はゴミだと本気で思っていたりします。
男女混合デュオバンド。ギターとドラムのベースレス編成なんだけど、くっそかっこいいわ。かなり複雑な構成の曲を書くけど、決してプログレではなく、どちらかと言えば昔カオティックハードコア(笑)とか言われいたのに近い気がする。でもボーカルが女性なんで、すごく新しい感がある。よく知らんバンドですがデビュー・アルバムでこのクオリティ。
こっちは有名なラッパーのマイロのセカンドアルバム。といってもあんまり日本語で情報ないからバックグラウンドとかわからんねん。ミックステープ出身ってことで最近のラッパーっぽいキャリア。さらにタイトルからうかがわせられるのは、ネット系ラッパーってことだ(笑)。Nujabesのようなチルアウトしたトラックにけだるいラップがのる感覚は日本のインターネットキッズにも響きそうではある。よーしらんが良いアルバムだよなートラックもラップも(リリックは読んでない)。
ポストロック関係でも特にアカデミックな雰囲気のあるSon LuxことRyan Lottの新作。まあ鼻にかかるプロジェクトではあるけど、この音源にはぶったまげたね。ポストロックだわーポストロックすげーポストロックあちぃ。90年代の死後だと思ってたけど、結局ロックのフォーマットでやってないことまだまだあるじゃんと、Henry Cow時代のチェンバー・ロックとはまた異なった次元で音を作ってる。まあとりあえず、下のPVでも見てください。
これまたチェンバー系。ぜんぜん情報なくて、そんなに有名じゃないっぽいけど、これすげえアルバムだよ。カリフォルニア、オークランドのバンドらしいがまあアートスクール感あるけど、Son Luxに比べるとぜんぜん鼻にかからない。なんか大学生がフランク・ザッパ目指して作ったバンドみたいな感じだけど、クオリティはかなりの粋に達している。とくにブラスのセクションを使う部分とか、作曲すげえなと。これ演奏している姿も良いのだよ。
スタジオセッションのPVだけど。すげえなー、オレもこんだけの楽器ならべて曲作りたいわー。公式でチェックしたら7人編成みたい(http://wearemakeunder.com/about/)。アーケイドファイアとかああいったの流行りはさったけど、やっぱ大編成もいいよね。そしてアーケイドファイアに比べればかなり演奏うまくて、ちょっとR&Bよりで、実験的だ。
Christine Loveとフェミニズム in videogame
Christine Love(日本語表記はクリスティーン・ラブが正しいそうだ)についてはファミ通とかで記事に書いたくらい評価をしている現代のビデオゲームクリエイターだ。彼女に興味をもったきっかけはSteam初のビジュアルノベルと言われるAnalogueだった。当時の私にとって外国人女性がアニメ絵のビジュアルノベルを作ることだけでも衝撃だったのだが、そのテーマが男尊女卑だというのはもう何がなんだがわからなかった。しかしちょっと調べると2000年代後半からビデオゲームにおけるフェミニズムというムーブメントが徐々に広がってきていることがわかった。
今回、知人の方々と彼女の処女作『Digital: A Love Story』の日本語版を公開できたので、たまには思い出(?)などを書き綴ってみる。
今でも多くの日本人にとってフェミニズムとビデオゲームの食合せは悪いだろう。人によってはそんなイズムがビデオゲームに入ることすら認めたくないと思う人もいるだろうし、どうせ表現規制をやる連中でしょと侮っている人も多い。
だがパンク好きでライオットガールの洗礼も受けていた自分(要するにビデオゲームカルチャー以上にパンクカルチャーに染まっているだけなんだが)は、この組み合わせを素直に「かっこいい!」と思った。ビデオゲームの中でフェミニズムを追求することは、政治的な正しさといった問題以上に端的にかっこいいのだと感じたのだ。この感じ方が万人に受け入れられないことはわかるが、今でもこの直感を信じている。
そしてクリスティーンの作品はその中でももっともピュアでかっこよく、かつ正しいのだ。これまた理解されていないが、ビデオゲームの中のフェミニズムにもいろいろな立場があり、Tropes vs Women in Video Gamesで有名なAnita Sarkeesianのように既存ゲームの女性の表現を問題にする立場もあれば、クリスティーンのように女性やクイアや様々なセクシャリティをもっと表現していく立場もある。個人的にもビデオゲームにおけるフェミニズムが最も生産になる部分は既存のゲームの女性蔑視表現を取り締まることよりも、ビデオゲームの表現によって女性のエンパワメントを実現することだと思う。
クリスティーンの作品はその意味で極めて有効なものだ。『Digital: A Love Story』ではあからさまではないが、人間の愛という問題をジェンダーとまったくかかわらない部分で描いている。もちろん、それは彼女自身のセクシャリティとAIというものへの無邪気な憧れから生まれたもののように感じるが、単なるストーリーレベルではなく、ビデオゲームにおけるインタラクションへ適切に落とし込んでいる。
さらに『Analogue』ではそのテーマをはっきりと保持しながら、李氏朝鮮時代の男女差別を描くことで、我々の現実への違和感をたくみに描く。ここでも主人公のジェンダーはまったく自由な存在だが、AIに美少女のキャラクターが割り当てられることで、多くの人にジェンダーというものの認識の仕方を強調する。(だが実際に物語においても彼女の創作においても美少女への愛というエロスによって、ある意味この現実批判めいた部分は曖昧なものになっている。まあだから説教臭くなくて良いのだがw)。
表現というものに対するこうしたポジティブな部分は、私には現代のフェミニズムにおいて最も魅力的なものに映る。もちろん、根幹には私個人のパンク的なDIYエチケットがあるが、実際に作られた作品は一般的な水準で楽しめるものであるし、同時にやはり政治的にも正しい。ポリティカルコレクトネスという概念がほぼ表現規制という文脈で使われがちな昨今では、彼女の創作の多様性(新作は異性装者たちクローズドサークルものサスペンスだ)は目を見張るものがある。物事に対する誠実さが作品のつまらなさではなく、魅力に貢献しているというのは感動に値する。
実際に来日した彼女に何度かあっているが、本人は極めて好奇心旺盛なギークガールである。コスプレとセルフィーを愛しつつ、日本のカルチャーを貪欲に吸収する。その半面、とってもシャイで質問に対しては丁寧に考えながら答える。ゲームクリエイターという枠ではなく、創作する人間としての生真面目さ、実直さがとても印象的だった。
思い出というか思いを羅列する形になったが、言わんとしていることは彼女の作品を複数プレイすればわかるだろう。筋が通っているのである。好き嫌いは別として、やりたいことがはっきりしている。しかも、商業的に受け入れられる水準で。もちろん、インディーゲームのブームや現在のクイアやゲイマーのシーンが後押ししたところも多きい。しかしながら、彼女の作品はビデオゲームの歴史において一つのメルクマールとして今後も語り継がれるし、クリエイターとしても素晴らしい作品を残していくことは明らかだろう。
このような形でも彼女の作品に関われたことを誇りに思う。仕事としてもパブリッシャーをおこなっているが、個人としてもこのような才能のあるクリエイターに関われたことは本当にうれしい。より多くの人にプレイしてもらいたい。
就職しました
Facebookの方ではもう告知しましたが、株式会社デジカに就職しました。デジカではゲームパブリッシングマネージャーとして国内外のゲームをSteamなどにリリースしていきます。
大学院で生活のために始めたライター業ですが、最初は音楽よりもゲームの方が仕事が多いからという理由でゲームに関わることが多くなりました。しかしながら、日本のゲーム業界には音楽業界にはない魅力が多々あり、いつのまにか溶け込んでしまいました。特に海外まで打って出ようとする意気込みの強さはコンテンツ産業の中では一番だと思いますし、とても勇気づけられます。
フリーランスのライター時代はいろいろ大変なこともありましたが、かなり恵まれた状況だったと思います。新人に近いような私でも様々な仕事が与えられましたし、何よりも関わったパブリッシャー、開発者、メディアの方々には本当に感謝しています。インタビューしたかったけど、できなかったクリエイターや中途半端のままになった企画はありますが、時間があればなんかの形でまたやりたいなと思っています。
さらに何よりも周囲のゲーマーにも助けられました。主催しているイベントHotline Tokyoが10回以上開催することできたのも、周囲のゲーマーの支援のおかげです。彼らからは公私共々お世話になりましたし、仕事上のアイデアをもらうこともありました。そもそもゲームの知識の偏りがある一個人がメディアでうまく書いていくには、これらのネットワークは不可欠なんだろうと感じています。
ということで、これからもゲーム業界の一員として活動していくので、よろしくおねがいします。大きな目標として、これからは日本にPCゲームを普及させていきたいと思います。そしてインディーの開発者の方々がもっと輝けるようなマーケットを作りたい。そのためにはまた様々な人に協力してほしいと思います。
株式会社デジカは日本ではあまり知られていませんが、Steamの公式のポータル、PRO スチーマー などを運営している会社です。現在はゲームのパブリッシングに力を入れており、最近ではトライアングル・サービスさんの『XIIZEAL』をリリースしました。過去にも『Crimzon Clover WORLD IGNITION』などをリリースしており、何やらSTGをいっぱい出しているからお前が入ったんじゃないかと言われると半分当たりです(笑)。いやーがんばっていろいろやっていきますよー。
ついでに告知すると13回目のHotline Tokyoも6月28日(日)に開催するぜ!扱うタイトルは初心に戻って(?)『Hotline Miami 2: Wrong Number』デス!!!
Hotline Tokyo: Announce! HOTLINE TOKYO 13th /『Hotline Miami 2: Wrong Number』
Emoについて
Emoという言葉はその意味するところはともあれ、完全に日本に定着してしまった感はある。大学生が「これエモい」とかいう発言を頻繁に発し、それを聞くことはもう珍しくなくなった。
とはいえ、やはり「こいつ何を思ってエモいとか言ってんの?」と思わなくもない。もちろん、ロックであれパンクであれポピュラリティを得た音楽ジャンルは形容詞として乱用される運命であるが、Emoはその誤解の振れ幅が特段に大きいような気がしてならない。というのもエモいエモい言うてるやつは、Emoが音楽ジャンル(もしくはサブカルチャースタイル)だとすら思ってないような気がする。
音楽ジャンルとしてのEmoが日本ではそれほど浸透していない理由はいくつか考えられる。オルタナ、グランジの影で紹介されるのが遅れた。北米で浸透したときには、日本では洋楽ロック自体が少なくなっていた。良いディスクガイドや書籍に恵まれなかった。サブカルチャーやファッションとしてのEmoと音楽ジャンルのイメージの違いなどなど。
とはいっても、現在の北米を中心としたインディーロック・シーンを考えるにEmoは切っても切り離せないものだ。そのため、ここでは英語版ウィキペディアの記述を参考に音楽ジャンルとしてのEmoの歴史を振り返ってみたいと思う。まあ以前に全訳したので、それをまとめて置きたいだけの雑文だが。
Emoの先駆者たち
Emoについてひとつ忘れないで欲しいことがあるとするならば、それがハードコアパンク・シーンから生まれたことだ。マジでこれだけは知っておいて欲しい。というのは、ハードコアパンクというと普通の人にはどうしても過激で極端な音楽(全然間違ってないが)というだけのイメージで終わってしまうのだが、実際は現在の音楽シーン、それこそ日本のロックバンドにも多大な影響を与えている。
Emoの発端もアメリカン・ハードコアの由緒正しき故郷、ワシントンDCである。ワシントンDCは80年代の初頭からBad BrainsやMinor Threatといったレジェンドを生んでいるが、それらの影響を受けたバンドは徐々に音楽性を変化させていった。端的に言えば、ハードコアの持っていたストレートで激しい音楽性と政治的なメッセージ性が後退し、実験的でメロディアス、日常的なテーマの楽曲が増え始めたのだ。
だが、政治的なメッセージ性が後退したといっても、Emoそのものは非常にポリティカルなムーブメントだった。当時のハードコア・シーンにおいては暴力行為や性差別などが増加しており、それに対する反対行動としてEmoのシーンが形成されたとされる。このような社会的なものから個人的なものへという政治姿勢の変化は、80年代全体の左翼思想でも見られることであり、Emoもそのひとつであると考えるとなかなか興味深い。
有名なのはMinor Threatのイアン・マッケイのSxEであろう。SxEについて書いていると長くなので詳述しないが、全体として当時のパンクシーンの価値観がコミュニティから個人へと焦点を変えつつあったことという点では、EmoとSxEは似たような動きであったのだろう。そしていくつか
あったMinor Threatのイアン・マッケイのポリシーの延長として生まれた。Minor Threatのファンであったガイ・ピチョトーは1984年にRites of Springを結成、メロディアスなギター、変化に飛んだリズム、非常に私的で熱烈な歌詞を取り入れ、ハードコアが自らに課してきた枠組みから抜けだした。ノスタルジーやロマンチックなほろ苦さ、詩的な絶望といったものを含む彼らのバンドのテーマは、エモの後の世代において一般的なものになった。また彼らのライブ・パフォーマンスでは、オーディエンスたちが時折むせび泣き、公に感情を吐き出す場所となった。イアン・マッケイもまたRites of Springのファンになり、彼らの唯一のアルバムをレコーディング、ローディーとして働いた後、すぐに自分のバンドを結成した。Embraceと呼ばれるそのバンドは反省的で感情を解き放つといったRites of Springと似たようなテーマを探求した。
1985年の「革命の夏」――創造性という新たな精神を取り入れ、ハードコアの凝り固まった制約から抜けだそうというワシントンDCシーンの人々による意図的な活動――との関わりの中で似たようなバンドがすぐに続いた。このムーブメントには、Gray MatterやBeefeater、Fire Party、Dag Nasty、Soulside、Kingfaceといったバンドが関わっていた。
「エモ」という言葉の正確な起源ははっきりしないが、1985年にまで遡ることができる。 『Nothing Feels Good: Punk Rock, Teenagers, and Emo』の著者、Andy Greenwaldによれば、「『エモ』という言葉の期限は謎に包まれている(…)だが、それが最初に日常的に使われたのは1985年のことだった。Minor Threat がハードコアであったならば、そのとき、Rites of Springはその違った姿勢からエモーショナル・ハードコアもしくはエモコアであった」。「Our Band Could Be Your Life」の著者、Michael Azerradもまたこの言葉の起源をこの時代に追い求める。「そのスタイルはすぐに『エモコア』と呼ばれた。関係者は皆、その言葉を忌み嫌ったが、少なくとも15年間、その言葉とアプローチは繁栄し続け、無数のバンドを生み出した」。またイアン・マッケイによっても、その言葉の機嫌は1985年に求められる。Thrasher magazineのある記事の中では、Embraceや他のワシントンDCのバンドを指して「エモコア」と呼んでいるが、彼はそれを「人生で耳にした最もクソ馬鹿げたものだ」と語っている。他の記事によると、その言葉はEmbraceのライブでオーディエンスの一人が侮辱として「エモコア」と叫んだことに起因する。また他のものでは、イアン・マッケイが雑誌で自嘲的にその言葉を使ったとき、その言葉が作られ、Rites of Springに起源があると主張している。
しかしながらオックスフォード英語辞典では、「エモコア」の最初の用法は1992年と記され、「エモ」は1993年とあり、その印刷されたメディアにおける最初の登場はNMEの1995年であるとされる。
「エモコア」というラベルは、すぐにワシントンDCのパンク・シーンから広がり、イアン・マッケイのレーベルDischord Recordsと関わった多くのバンドに付され始めた。これらのバンドの多くは押しなべてこの言葉を拒絶したが、それでもそれは付きまとっていた。シーンのベテラン、Jenny Toomeyは「当初、その言葉を使ったのは、シーンの大きな盛り上がりを妬んだ人たちだけだった。[Rites of Spring]は、その言葉が登場して、彼らが嫌悪する以前から健在だった。しかし、この奇妙なムーブメントにおいては、人々が音楽を「グランジ」と呼び始めたときと同じように、たとえその言葉を嫌悪している人でもそれを使用することになった。」
ワシントンDCのエモ・シーンは数年しか続かなかった。1986年までにRites of Spring、Embrace、Gray Matter、Beefeaterを含むムーブメントの主だったバンドの多くは解散した。だがたとえそうであっても、そのシーンから誕生した着想と美学は、自家製のジンやヴァイナル、風のうわさを通じてすぐに国中に広がった。Greenwaldによれば、ワシントンDCのシーンは、後続するエモの発生すべての土台を築いたのである。
80年代半ばにDCで起こったこと――怒りから行動へ、外に向けた憤慨から内に秘められた混沌へ、個別化された集団から個々人の集団へといった変化――は様々な意味において、次の20年間のアメリカのパンク・シーンの変容におけるテストケースであった。その音楽の力とイメージ、それに対する人々の反応の仕方、そしてフェイドアウェイするのではなく燃え尽きるというバンドのあり方はすべてRites of Springによる最初の僅かなパフォーマンスに起源を持つ。意図的なものではないが、エモのルーツはアメリカの首都で50数人によって産み落とされた。いくつかの点で、それは決して良いものでも純粋なものでもなかった。だが確かに、「エモコア」がジャンルとしてコンセンサスを持ったのは、ワシントンDCのシーンからであった。
イアン・マッケイとガイ・ピチョトーは引き続き、Rites of Springのドラマー、Brendan Cantyを加えて、Fugaziというバンドを結成することになる。フガジは非常に影響力のあるバンドであり、ときおり「エモ」という言葉と関連して語られるが、普通、エモ・バンドとしては認識されない。
《長くなったので不定期連載...》
Alex G 『TRICK』 2010年代の傑作ローファイインプロージョン
なんかもうちゃんと書くの無理やから良い音源あったらただ紹介するのに留める。
Bandcampのスタッフピックから。2012年にリリースされたカルトアルバムのリマスターが発表されたようで、確かに聞いてみるとカルトくさい。Alex Gはフィラデルフィアのかなりローカルなシンガーソングライターのようでなんの情報も出てこない。ジャケからしてゆるいが、全体的に90年代のローファイを経由しながら、2000年代のエモやバロック・ポップ的な雰囲気を感じさせる素晴らしいサウンドに仕上がっている。
ぼやけたベースラインが魅力のトラック1。ボーカルは意外にも高い声だ。途中から入るノイズもいい味している。グランジを思わせるような単純なリフのトラック2。だがバンジョーを合わせてくるあたりは2000年代風だ。トラック3はダイナソーのようなギターサウンドにアコギを合わせ、下手くそなドラムがアンサンブルを刻む。ブリッジ部分の単純なギターリフは『Brighten the Corners』の頃のPavementを思わせる。
終始この感じだが、意外と幅が広い。もちろんPavementからは多大な影響を受けてそうだが、スティーブとは違った意味でソングライティングの幅が広い。いったいどういうアーティストなのかわからんけど、他の音楽の仕事で食ってそうな気がするな。