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Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

Alex Chilton / The Replacementsの訳詩をサルベージ

訳詞は意外と楽しい。解釈の自由度もある。精神的にもいいかもしれない。

The Replacementsは大好きなバンドだけど、あまり周りに好きな人が見当たらない。それはたぶんアメリカンすぎるロックなんだと思う。自分は結構ルーツ・ロックみたいなもの好きだから大丈夫だけど、たしかにポール・ウェスターバーグのソロなんかは日本人的な完成からは理解しにくいと思う。

ただこの曲「Alex Chilton」はその名の通り伝説的なシンガーソングライター、Big Starとかで有名なアレックス・チルトンをテーマにしているから、パンキッシュでポップ。メインのギターリフは最高で、初期のナンバーガールを思いっきりアメリカンにした感じ。やっぱアメリカンなのかといわれればそうなんだけど……。

 

 

もし彼が金星から来たんだったら、スプーンで俺たちにメシをくれただろうか?
もし彼が火星から来たのだったら、クールだったんじゃね?
キャンパスの真っ只中に立ち、ファイルにスタンプ押してくれるんだろうか?
始終メンフィスのあたりをうろついている。

100万くらいの子どもたちがアレックス・チルトンのために歌う
彼がやってくるときに
子どもたちは歌う「夢中だぜ!この曲はなんだ?夢中だぜ!この曲はなんだ?」

彼のチョイスの村々に頭にガツンと強姦、強奪
見える声で歌える見えない男
札束の予感、目の前で幸運を交換
サンマルコでへそくりをゴミみたいに数えている

俺はそんなに遠くへ行けないぜ、小さなビッグ・スターなしでは

家のあたりを走り回り、ミッキーマウスとタロットカード
さわがしいビデオをつけたままで、眠りにおちる
彼が金星から来たのならば、月で落ち合えるかな?
彼がメンフィスで死んだのならば、クールなんだろうな、たぶん

If he was from Venus, would he feed us with a spoon?
If he was from Mars, wouldn't that be cool?
Standing right on campus, would he stamp us in a file?
Hangin' down in Memphis all the while.

Children by the million sing for Alex Chilton when he comes 'round
They sing "I'm in love. What's that song?
I'm in love with that song."

Cerebral rape and pillage in a village of his choice.
Invisible man who can sing in a visible voice.
Feeling like a hundred bucks, exchanging good lucks face to face.
Checkin' his stash by the trash at St. Mark's place.

I never travel far, without a little Big Star

Runnin' 'round the house, Mickey Mouse and the Tarot cards.
Falling asleep with a flop pop video on.
If he was from Venus, would he meet us on the moon?
If he died in Memphis, then that'd be cool, babe.

(chorus)

 以上の歌詞は昔mixiに投稿したものだ。つたないところはあるけど、雰囲気は伝えている。やっぱサビの"I'm in love. What's that song?  I'm in love with that song."は最高にイケてる。かなりアップビートが聴いたリズムで乾いたドラムがトランポリンのように飛び跳ねる。カウベルの使い方もかなりよい。後半、アコースティックになるあたりのアレンジも凄まじくセンスが良い。これぞアメリカンパンクって感じ。

 

ありふれた表現、日常的な創作

世の中にはその辺の普通の人が作った芸術(あえてそう呼ぼう)を楽しめる人とそうでもない人がいる。たぶん大多数の人はアーティストや芸術家や作家や有名ブロガーやユーチューバーの作ったものしか楽しめないのかもしれないが、私は友人や家族やその辺の名もない人の作ったものを意外と楽しめる。これ自体はまあ良いとか悪いとかじゃないけど、もうちょっとみんなにもそういった「ありふれた表現、日常的な創作」を楽しめるようになってほしいと思っている。

ただやはりそういったものを楽しむにはいくつかの障壁がある。まずクオリティ。まあクオリティといっても実際にはいろいろだけど、一般にそういった「ありふれた表現」は往々にして商品や作品として流通するものに比べて、何かしらの「質の悪さ」がある。音質が最悪だったり、歌詞がいい加減だったり、カット割りがおかしかったり、線がクリナップされていない。ただこういった部分はある程度の作り込みや制作費の投入でクオリティアップがなされるため、そのアイデアや構想やコアな部分は十分に鑑賞に耐えうる。だいたい商業的な作品を作っている人もラフスケッチやデモの段階では荒削りなわけなのだから。

またこれらの荒削りな部分はそれはそれで味がある。商業的に作り込まれたものは良くも悪くも角が取れて、そういった荒削りな部分の味が薄まっている。ローファイと言われるような音楽のジャンルはその部分自体も美的な鑑賞の対象だ。

ある種のインディーゲームもそういった部分がある。これらの荒削りな表現は苦手とする人もいるだろうが、まあ要するに好みの問題という部分であってそんなに大したことではない気もする。

でも二番目の障壁として思いつくものはやや厄介そうである。それは作者との関係性だ。現代において作者と我々の関係は何らかの意味で隔たりがあり、商業的な作品を作る作者と直接と面と向かうことはほとんどの人はないだろう。そういった距離がある関係が通常であると、実際に知人や目の前にいる人が作ったものにどういう態度を取ればいいかわからない人は多いように感じる。

確かに作り手がそばにいる状態で何かの表現を鑑賞するのはやや特別なことに感じる。場合によってその人との関係性によって「純粋に」鑑賞ができないこともあるだろう。また逆にその人に関する特別な知識によって、他の人より多くの洞察を持つこともできるだろう。

この関係性にどう対処するのかは人それぞれだし、あまり答えはないように思えるが、ともかく慣れているかいないかにはかなり差があるように思える。コミケなどの同人誌即売会などに足を運ぶ人は直接作り手と向き合うため、こういった関係性にある程度の耐性を持っているように思える。

いずれにせよ、そういった近いところで出された表現にはそれ固有の楽しみもあり、プライベートな感覚に満ちている。 表現や創作といったことは何も匿名の「読者」だけに向けたものではなく、近い知人や家族、恋人に向けて作られることがあっても良い。むしろ歴史的にはそっちの方が古い表現であるようにすら思える。

最後に障壁とは異なり、私が「ありふれた表現、日常的な創作」に対して持つ独特な感慨について触れておこう。こういっては何だが、私は人を人として扱う以上に人類という生物として見ることが多い。そして、そこから生まれる創作物はビーバーの巣やサンゴ虫が作る珊瑚のように、広い意味での生物の表現型として考えている。つまり、それらは自然美としても鑑賞できるものである。いくら陳腐なメロディー、凡庸なフレーズであっても、その生態系やそれに乗っかる文化から生まれたことを考えると往々にして崇高なものとして立ち現れるものなのである。

現代のタイの音楽がおもしろすぎだった

バンコクに旅行してきたのだが、すごく美味しくて安いイサーン料理の食堂でかかっていた音楽に惹かれた。それは歌謡曲のような節回しでいて、ラップのようなフレーズがあり、なぜかバックバンドはスカのような不思議な音楽だった。たまにシンセのフレーズが入ったりするのも面白い。Twitterで適当に聞いてみたところ、すぐに「ルクトゥーンかモーラムではないか」と指摘が入った。

前提としてルクトゥーンというのはタイの歌謡曲に当たる音楽ジャンルにようで、要するに戦後のロック・ポップスに影響うけたタイ国産音楽のようだ。対してモーラムはタイの東北地方(イサーン)の伝統音楽だが、その後、ルクトゥーンからの影響をうけて独自に進化していったようだ。

上の動画がおそらく伝統的なモーラム。ケーンと呼ばれる笛と打楽器で比較的アップテンポの音楽だ。どうも伝統的なモーラム自体にラップのようなフレーズが入っているらしく、たしかに歌もどこかリズミカル。

これらのモーラムがルクトゥーンの影響下でエレキギター、ベース、シンセサイザーなど加わり、いつしか独自な歌謡曲のような音楽になった。さらにもともとなのか、西洋の影響を受けたのかわからないが、リズムが明白にスカのようなツービートになった。これが面白い。メロディは歌謡曲のようなマイナー調でそこに軽いギターやシンセがのりつつ、スカのビートがなる。さらにブラスあたりの入れ方はファンクっぽい。ボーカルはラップのような雰囲気の男声と歌謡曲のような女性が交互に入り、ライブセットであるからか全体としてはかなり長い。この辺りもフェラ・クティのアフロビートみたい。

これなんかもローカルなバンドみたいけど、シンセのパーカッシブなフレーズのせいで怪しいニューウェーブバンドみたいな雰囲気がある。実際に最近のバンドになると、モラーンをやっているのかどうかはよくわからないが、明白にスカを押し出すのがかなり見つかるのである。

Bie The Skaという名前もそのままなバンド(?)タイ語が読めないからまったく情報が漁れないが、歌謡曲っぽいメロとリフをうまくスカにまとめており、PVもかなり楽しい。どうもタイは女性に憧れるダメな男性という構図がドラマやPVでも多く、これもそれを踏襲している。

こちらもモーラムなのかわからないが、明白にスカのリズムにラップのようなボーカル。フック部分にはダブステップっぽいリフ(ベースが弱いがw)の上でラップ。PVの内容はコミカルな感じだが、どうも出稼ぎ労働者っぽいネタが頻出している。良い感じに下品な音楽に仕上がっていて大変楽しい。

イサーンという地域は上の動画のように自然あふれる素晴らしい土地らしいが、タイにおける貧困地域であるらしく、バンコクにはイサーンからの出稼ぎがたくさんいるらしい。そういうこともあってモラーンはイサーン人の郷愁、哀愁、そして抵抗を意味する重要なものらしい。出自もあってヒップホップ的な側面を感じる。

すごくたまたま「爆音映画祭2016 特集タイ|イサーン」というイベントでイサーンのことを扱った『バンコクナイツ』という映画を上映するようだ。なんというか素晴らしいタイミング。いろいろわからないことがあるので、もっと知りたいところである。

 

極私的BitSummit 2016の感想

今年はBack in 1995のお手伝いという形で参加しました。いつもと違って出展者側の気持ちがわかって面白かったね。とりあえず、床柔らかくしよう......。E3ほどまでいかなくてもいいけど、みやこめっせ硬いよ!

以下は極私的な感想。ただの日記みたいなもんだ。

 

BitSummitはフジロックだ、よくも悪くも......

何より運営がやばい。こっちは出展者側だが2日目前くらいまでステージイベント等の情報も公開されなかった(笑)。メディア側もこれじゃ取材のスケジュール組めないよ!!

でもすごい。お客さんは別に何があるのかよくわからなくてもとりあえず来る。まさにフジロックが目指した「アーティストを見に来るのではなく、俺のイベントに来い!」状態だ。これができるならば、もうむしろ何も発表しない方向でいいんじゃないか。とりあえずBitSummit来たら今の日本のインディーがわかる!みたいな。

ということで、お客さんはとてもたくさん来た。Back in 1995は場所も良かったので常にプレイしてくれる人がいた。外国人もいたから英語での説明はなかなか良い機会だ。VRなんて列並んでて1時間待ちとかあった。なんだこのイベント。

メシがうまかった、メシがうまかった大事なことですので2回言いました!

これマジ本当。会場内には地元の食べ物やさんのカレーとトルティーヤとハンバーガーとかあった。特にQ GamesのDEAD HUNGRYというVRゲームとコラボしたハンバーガーが大人気。俺は並ぶ暇がなくて、カレー食ってたら目の前にQ Gamesの社長さんのディランさんが座って、このコラボレーションについてべらべらと教えてくれた(なんと豪華な話であろうか。このクリエイターとの圧倒的な近さもまたBitSummitの醍醐味だ)。

ディランさんによれば、なんかこのコラボは直前に決まったらしい。DEAD HUNGRY自体が社内のゲームジャムで作られた作品だけあって、ゲームも企画も急ごしらえだったようだ。ハンバーガー屋さんはみやこめっせの近くのお店で、以前からもBitSummitの時に利用していたようだが、今回は会場に出展してもらったそうだ。本当はVRのブースのそばでハンバーガーを焼いて匂いもバーチャル(リアル?)だとかやりたかったそうである。(ディランさん商売上手や。これはまちがいない)

で、比較するの悪いけど、TGSのメシはなんとかしろ。いつも高くて大したことのないメシしか食えない。このBitSummitのメシのクオリティはまた出すけどフジロック並でたぶん海外デベロッパーも忘れられない味になるだろう。

プロもインディーもゲーマーも関係ない空間

ディランさんもそうだが、今回は本当に豪華なクリエイターがそこら辺にいる空間だった。もちろん、私はライターという肩書もあっていろんな人に声をかけていただけるのですが、坂口博信さんも五十嵐孝司さんも須田剛一さんも普通にブースにいる。雰囲気的にはサインくらいは気軽に答えてくれそうだし、実際に写真はみんないっぱいとってた。

個人的にはRead Only MemoriesのMidbossの面々やMomodoraの作者rdeinさんに会えたのがよかった。rdeinさんはBack in 1995のデモをクリアするまでやっていったよ!俺も一条さんも英語が下手くそでうまくアテンドできなかったがww

この辺りもTGSと比べると圧倒的にファン目線のイベントだ。それも作られたものではなく、コミュニティとして自然な形の。たぶんPAXに近い存在になっていくんじゃないだろうか。(運営の所々の問題が解消されるならば)

出展作品のレベルは

いろいろとインディーのイベント見てきて、偉そうながら言いますが、正直、日本のインディーは海外とまだまだ差があるのは否めなかったです。特に海外勢はIndie MEGABOOTHで選ばれたタイトルがたくさんあるので、クオリティは非常に高い。また東アジア系のデベロッパーもなかなか力を蓄えてきた感じがある。

翻って日本のタイトルはややおなじみのメンツになっている感は強い。まあTGSコミケやデジゲー博といった機会で会っている人たちなのでしょうがないかもしれない。でももっといろんな人に参加して欲しいとは思うし、日本のインディーはまだまだこんなもんじゃないってのを期待している。

驚きのプラットフォーマー3社の参加

任天堂の参加。一番のビッグニュースだっただろう。まあ以前から個人向けのパブリシングを認めるみたいな方向はあったが、こうもBitSummitに参加するとは思ってなかった。正直、まだまだ課題は多いが(開発、レーティング、審査フロー、ストアでの扱い)見守っていきたいと思う。

Sonyさんは名前を連ねて、ステージに吉田さんがでたくらいで特になにもしてなかった。イトゥーさんいわく、「裏方に回ってサポートしたい」とのこと。まあそれはわかるし、既に何本かインディー発のゲームはPSプラットフォームで出てきた。こちらとしてはとにかくPS4をなんとか日本で普及させてほしいとは思うが。

MSさんはちっちゃなブースでIDプロジェクトの説明をされていたと思う。正直、日本での展開はまだ煮え切らない感じでどうなるかよく知らない。それ以上に国内市場を考えた場合、XboxOneはちょっとありえない。かといってまたWindowsとの統合とかいう話になるのもどうかと思うので、国内インディーの受け皿としてはまだまだ遠い印象だ。 

VRの多さ

これは予想されたことであるが、VRコンテンツは多かったし、レベルも高かったようだ。自分は並ぶ暇もなく、CAVYHOUSEさんのやつだけ見せてもらったくらいだ。

ただ展示に関してはまだまだ課題がある。そもそもVRは大がかりな機材が必要で、センサーの干渉もあり、一般のブースと同じく募集をかけるのは無理がある。かといってVRコンテンツに何枠用意したらいいのか、なかなか難しい問題だ。

今後はVR展示のノウハウが蓄積され、運営側もそれを把握してうまいことやっていっってほしい。

ボランティアの活躍

非常にボランティアスタッフが頑張っていました。出展者側としては非常に助かります。ただSPAREっていう役職がブースの代理人になってくれる人であることは、最期まで気づかなかったです(笑)。

便乗イベントの存在

BitSummitにともなって前日から様々な催しがありました。STGのパーティーや恒例となっているポリポリクラブ。そして物議を醸したMEGABIT CONVENTION。これには残念ながらいけなかったけど、ごく普通の同人ソフト即売会だったようです。

個人的には様々な便乗イベントがあるのは楽しいですが、うまく運営と協調していってほしいと思います。E3なんかの大きなイベントもこういった便乗企画はいっぱいあって、それ自体は非常に面白いです。せっかく京都という場所でやっていることもあって、BitSummitが良いインディーの「エコシステム」となることを願っています。

以下は参考記事

www.gamespark.jp

そしてオフ会と化す

BitSummitの面白さのひとつはやはり関西勢との交流でしょう。クリエイター、アーティスト、社長さん、喫茶店の兄ちゃんも含めいろんな人がいます。いつも会うことができない人たちと絡む貴重な機会となっており、ここでは書けない話が繰り広げられます。なのでやはりBitSummitはロックフェスのように毎年休みを取って合宿するつもりで行くのがいいでしょう。

 

以上、かなり雑に書きましたが、一言でいえば、BitSummitはとても楽しかったです。皆さん、お疲れ様、来年もよろしくね! 

BRAND NEW / Brother's Song 対訳と考察

 2、3日前からヘビロテしているBRAND NEWのBrother's Song。初期EMOらしいギターリフを基調としたバラードなんだが、そのあまりにも美メロに感動して対訳を作ってみた。正直、他の曲はあまり好きじゃないけど、この曲が持つリリシズムは良い。

英語自体は簡単だけど曖昧でいてドラマティックな歌詞で、解釈は難しいが面白い。とりあえず、対訳をどうぞ。

BRAND NEW / Brother's Song

 

So the air's getting colder
空気が冷たくなっていく
And the news keeps us scared
僕らはいつもニュースにおびえ
We still wrestle this summer
未だにこの夏と戦っているんだ
From the bones of our tired and blistered hands
厄介事の原因と火傷した手から

 

'Cause tonight we got drinks
今晩、僕らは飲んでいたんだ
And just a couple of friends
ちょっとした友人たちと
And the girl that my brother likes is finally talking to him
結局、兄貴は好きな女の子と話してた
And his chest is all swelled like he's proud and happy
そして兄貴の胸は大きく膨らむ、まるでその自尊心や幸福感のように
Like he's got a great idea
まるですごいアイデアを思いついたかのように
Like he's making a memory
まるで思い出を作るかのように

 

Wake up and come out to the car
起き上がって車の外に出ようぜ
There's an east swell comin
東の方から波が来る
And it's howling off shore and we'll be
沖の方で風が唸っている
Lying like lions out in the sands
まるでライオンのように、砂浜に横たわろう
But I'll be dead before you put a gun in my brother's hands
だけどお前が兄貴の手に銃を渡すより早く死んでやるからな

 

So we make jokes back at home
家に帰りながら冗談を飛ばす
And we lighten the mood
気分を変えて明るくね
But growing up my parents saw
僕らは成長していたが、両親はわかっていた
What sending a kid to fight can really do
子どもを喧嘩に導くものが何をなしうるのかを


Now with the war I can tell they're a little shook up
今や明白となった争いのため、彼らは少し動転しているようだ
'Cause just a few mother's sons will never really be enough
生まれてきた息子の数は、母にとって決して十分ではないだろう 
Not 'til half of our names are etched out in a wall
姓名の半分を壁に刻み込む寸前まで
And the other half ruined from the things we saw
僕らが見た物事の半分は崩壊した

 

Wake up and come out to the car
起き上がって車の外に出ようぜ
There's an east swell comin
東の方から波が来る
And it's howling off shore and we'll be
沖の方で風が唸っている
Lying like lions out in the sands
まるでライオンのように、砂浜に横たわろう
But I'll be dead before you put a gun in my brother's hands
だけどお前が兄貴の手に銃を渡すより早く死んでやるからな

 かなり曖昧な歌詞なのであるが、サビの最期「But I'll be dead before you put a gun in my brother's hands」でいきなり核心的なフレーズが出てくる。遡って解釈すると、どうやら恐らくこれは恋人をめぐった兄弟喧嘩か何かの物語だろう。

最初の「We still wrestle this summer From the bones of our tired andblistered hands」あたりは現在の目線で、「'Cause tonight we got drinks」は事件当日だろう。そして、サビは恐らくビーチで遊ぶ情景と事件の瞬間だ。「But I'll be dead before you put a gun in my brother's hands」はかなり難しいが、「あなた=死神」とでも取るのが妥当じゃないかな。恐らく兄は自殺とかな気がするが、さすがに誰かが殺すとかだとちょっとウソっぽすぎる(ウソだろうけどw)。「Lying like lions out in the sands」の語呂と情景描写が素敵だ。

その後は親の視点。この辺りは巧みだ。最初、「'Cause just a few mother's sons will never really be enough」あたり何言っているのかさっぱりだったけど、たぶん兄弟の一方が死んだことの遠回しの表現だ。次の「Not 'til half of our names are etched out in a wall」が墓銘を意味するからたぶんあってる。

さあまあこんなとこだろうけど、やっぱこれすごいいい曲ですね。

 

 

 

一体感という名の幻想と美的判断

もうだいぶ前になるが、お台場の「Game On」に行ってきた。ああいった展覧会ができるのは本当に素晴らしいと思うけど、会場は展覧会というより無料のゲーセンという雰囲気だった。ただゲーセンより殺伐した空間じゃなくて、来場者が一緒に空間を楽しむような雰囲気になっていた感じがして、展覧会としてはどうかなと思ったけど、これはこれで楽しい。個人的にはアメリカでいったBarcadeみたいなのに近いと思う。なんとなく、格ゲーで知らない人と対戦したりするのはなかなか楽しい。ああいった空気を持つところはもっと増えて欲しいと思う。

中でも一番、楽しかったのは『The Beatles: Rock Band』のプレイ。これはギター、ベース、ドラム、ボーカルで演奏する音ゲーRock Bandビートルズ版なんだけど、なんとなく集まった客が「俺はギター」、「私はドラム」って感じで楽器を持ち、「ツイスト・アンド・シャウトならわかるよ」って感じで曲を決めて演奏する姿は、出来立てホらヤホヤのバンド見たくて微笑ましい。俺も2回くらいプレイした。ビートルズなら誰でも2、3曲は知っているから、初対面でも音楽を通してコミュニケーションできる。そういう空気が生まれる瞬間には素直にグッときてしまうものだ。

実際にはこういった感覚はありふれたものだ。個人的に印象深いのは、文化祭での学内バンド。俺は軽音部に所属していたのだが、文化祭に間に合わせるため、やりたくもない相川七瀬(なんと!)のコピーバンドとかやらされた(しかもメインのギターじゃなくてドラムで)。もちろん、練習もサボりまくりで本番もひどいもんだった。でもそんないやいややっているバンドでも、一瞬、みんなの空気がピタッと合うときがある。俺はドラムでかなりミスっていたけど、たまにタイミングがあってグルーブが出たりすると、ニヤっとしてしまう。「クソ、相川七瀬なのになんでおれは嬉しいんだッ」って感じに。

音楽にはいろいろな楽しみがあるけど、音楽演奏の楽しみは必ずしも音楽そのものの良さに由来しない。別に好きでもない曲だって、他の人との一体感が生まれると人間はなぜだか嬉しくなってしまうものだ。音楽じゃなくてもダンスや祭りのようなものはそう。けだし、人間は一体感に非常に弱いのだ。ぶっちゃけタイムラインで「バルス!」って言っているだけでも楽しい人は日本に数百万いるわけだし。

物事を深く見つめ、作品の良し悪しを吟味する立場からいうと、このような一体感は幻想というと言い過ぎかもしれないが、道を迷うわせるものである。たとえ俺が相川七瀬の演奏でバンド仲間との一体感にグッと来たとしても、やっぱり相川七瀬の曲は糞だし、音楽としてグッとくるわけじゃない。(まあ織田哲郎の職業的なソングライティングはそれなりに巧みだが、あの時代にしてもあのコード進行やギターリフはねーよと思ってた。その後、ナンバーガールの曲『タッチ』でなかばネタ的に似たようなフレーズが使われたがw)。

同じことはダンスにもゲームにもアニメにも映画にも言えるはずだ。当然ながらタイムラインで一斉に「バルス!」と叫ぶ楽しさは『天空の城ラピュタ』の良さを正当化しない。そんなもんで正当化されたら宮﨑駿だったいやだろう。TVアニメを実況しながら見ることが何かしら楽しいからといって、必ずしもそのアニメが良いのではない。みんながやっているからといってそのゲームが素晴らしいのではない。そうなのだ!そうなのだ!

ゆえに物事を深く見つめ、作品の良し悪しを吟味する立場からいうと、一体感は毒である。それらは道を迷わせる。正しい批評をしたいものは、山にこもって作品を吟味する必要があるのだ。

しかし、それでは冒頭の『The Beatles: Rock Band』のようなそもそも一体感を楽しむべきゲームはなんなんだろう。また多くのアナログゲームがその楽しさの要素に社交的なものを含んでいるように感じられる。これへの回答は恐らく2つあり、それら一体感の楽しさをそれをアフォードする作品の美点とみなすか、またはそれらは鑑賞ではなくプレイであるため作品批評とは関係ないとするかである。私は後者の立場にシンパシーを感じるものの、いくつかのゲーム(特にアナログゲーム)に関して後者の立場をとることは不適切であるようにも当然思える。

それともゲームのようなものはやはり、通常の作品とはことなるモデルで考えるべきなのだろうか。クソゲーも仲の良い友達とやれば楽しいというのは事実だ。しかしながら、個人的には普遍的妥当性というカントの黄金率に照らしてゲームも評価したい。The Beatles: Rock Band』のようなゲームはその信念を揺さぶるようなところがあり、非常にいかんのである。

 

Synthwave:ビデオゲームによって再解釈されたエイティーズ

サイバーパンクバーテンダーゲーム『VA-11 Hall-A』リリースおめでとう。このゲームはプロローグ版から応援してたし、TGSでも見に行った(そしたらなんと自分が大好きなゲームの開発者がパブリッシャーになってたからおどろいた)。我々にとってのこのゲームの魅力はやはり日本カルチャー再解釈だろうと思う。ビジュアル、キャラクター、音楽、あらゆる点で日本的モチーフが見出される。

中でも今回はその音楽について調べてみた。ビデオゲームによって再解釈された音楽ジャンルSynthwaveである。

Synthwaveっていうジャンル自体はなんとなく知っている人はいるだろう。なんかあの80年代的なアレで、ゲーマー的にはHotline Miamiのサウンドトラック(及びが一番わかりやすいだろう。

ちなみにBandcampではその派生ジャンルのVaporwaveが異常に人気で、『VA-11 Hall-A』のサウンドトラックにもそのタグが貼られている。この2つのジャンルの違いを正確に言い当てるのは難しいけど、まあどちらも80年代をテーマにしているが、後者の方はかなり悪ノリしているのは確かだ。

 で、Synthwaveだけどその出自について、Wikipediaの記述はなかなか面白かった。

Synthwaveは、Retrowaveとも呼ばれるが、2000年中頃に発生した音楽ジャンルである。1980年代のサウンドトラックに影響を受けている。

スタイル

音楽的には、Synthwaveはニューウェーブと1980年代の映画、ビデオゲーム、カトゥーン(アニメ)、テレビショウのサウンドトラックに強く影響を受けたものである。John Carpenter、Vangelis、Tangerine Dreamといったコンポーザーはその影響もととして度々、言及される。基本的にはインストゥルメンタルであり、しばしば電子ドラム、ゲートリバーブ、アナログのシンセベース、シンセのリードといった80年代的クリシェを含んでおり、当時のトラックに似せようしている。しかしながら、Shythwaveはエレクトロハウスのような現代的電子音楽において使用されるサイドチェインコンプレッション(コンプレッサーのエフェクトレベルを他のトラックでコントロールする手法)やベースラインとキックの特徴的な配置といった現代のサウンドプロダクションの技術を取り込んでいる。

美学的にはSythwaveは1980年代のSF、アクション、ホラー、またときおりサイバーパンクといったものを再現するレトロフューチャー的視点を与えてくれる。Synthwaveは1980年代文化のノスタルジーを表現しており、その時代の空気をつかみとり、称揚する。こういった美学が現れている事例としては、Kung Fury、Turbo Kid、Drive、Hotline Miami、Far Cry 3: Blood Dragonといった映画やビデオゲームがあげられる。

背景

2000年代の後半を通して、1980年代と1990年代初頭のサウンド、特にニューウェーブとシンセポップをリバイバルしようとするアーティストたちの情熱が存在した。この時代、Telefuture RecordsのようなSynthwaveに似たレトロなジャンルのアーティストをリリースすることにメインフォーカスしたインディーレーベルが現れた。

David GrellierによるプロジェクトCollege、さらに彼の共同プロジェクトValerie Collective、Kavinsky、Lifelike、Anoraakといったフランス人の活動は初期Synthwaveのパイオニアとして貢献した認知されている。これらの初期のアーティストは1980年代の有名なコンポーザーに影響を受けた音楽を作り始めたが、当時はフレンチハウスとの関係が強かった。Anoraakは2014年の後のインタビューで「アメリカのポップカルチャーはまさしく子供時代の俺のバックグラウンドを作ったよ。俺は1980年生まれだけど、アメリカの音楽と映画に囲まれた世界で育った」と語っている。スウェーデンのアーティストMitch Murderは2009年に活動を開始した初期のアーティストであるが、Synthwaveのサウンドの部分としてビデオゲームの音楽を持ち込む道を切り開く一助となった。2010年にデビューしたレトロなシンセサウンドのCom Truiseもまた彼の音楽をSyhthwaveとして言及してきた。

2011年に公開された映画Driveは、いくつかのSynthwaveのアーティストをフィーチャーしている。そして、本作のファンとアーティストをこのジャンルに向かわせるきっかけとなった。

このジャンルへの新しいアーティストの様々な影響を受けて、いくつかのアーティストは初期のアーティストによって作られたSynthwaveの特定の側面へと引き寄せられ、ジャンルと関わるアーティスト間の様々なスタイルの違いを作っていった。KavinskyによるダークなサウンドはPower Glove、Perturbatorのようなアーティストによって引き継がれ、College、Lifelike、AnoraakのようなよりリラックスしたサウンドはFuturecop!、Robert Parkerのようなアーティストによって続けられた。

ポストハードコアバンドのFightstarのAlex WestawayとDan HaighはSynthwaveのサイドプロジェクトGunshipを開始して、セルフタイトルのデビューアルバムは2015年の6月24日にリリースされた。

Synthwave - Wikipedia, the free encyclopedia

 このジャンルが使われだしたのは結構、最近のことだと思うが、この記事ではゼロ年代後半のフランスのValerie Collective一派について触れられている。同時代的には彼らの音楽は80年代レトロスペクティブなフレンチハウスやシンセポップ扱いされてたと思うけど、今は遡及的にSynthwaveのパイオニアとされている。なぜかというと彼らの音楽を使用した『Drive』がヒットして、それに影響を受けた『Hotline Miami』がヒットして、そこからSynthwaveが流行ってきたからみたいな感じだ。

もちろん、Wikipediaの記述はそんなにあてならないし、これだって独自研究扱いとかされてるが、個人的な実感からもこの解釈はわからなくない。

というのは、Valerieは確かに80年代に傾倒してその時代のテクノロジーや映画を参照していた。だがその後の世代はさらに80年代に普及したポップカルチャーとしてのゲームにコミットするようになったからだ。Kavinskyなんか実際ゲーム作ってたし。

ともあれ、このジャンルに対してビデオゲームが与えた影響が大きいというのはなかなか面白い。だってゲーム音楽が音楽に影響うけることはあっても、その逆はあんまりなかったからね。