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Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

私がSRPGに望むもの1

とはいってもそれほどたくさんのSRPGをプレイしたとは言いがたい。ファイアーエムブレムシリーズは全作プレイしていないし、スパロボ系はほぼやってないし。タクティクスオウガはもちろんプレイしているが死者の迷宮を遊び倒したとはいいにくい。

それでも直感的にこのジャンルが向いているもの、向いている世界観、向いているストーリーがあると思う。それについて話そうと思う。

まずSRPGとは何かだ。ゲームのジャンルはそれほどはっきりした区別ができないものではるが、概ね「成長要素があるシミュレーションゲーム」とされていると思う。この定義は「成長要素」と「シミュレーションゲーム」というさらなる概念によって分析される必要は待たれるが、ここでの議論ではそこまで踏み込む必要はないだろう。「成長要素」とは端的にいえばレベルシステムであり、その他のユニットのアップグレードだ。「シミュレーションゲーム」とは何らかのリアル(それはファンタジー世界であってもいい)を再現することを志向したゲームである。ただしSRPGのシミュレーションとはほとんどの場合、ウォーシミュレーション、コンバットシムを指す。戦術、戦略といった規模の違いはあるかもしれないけど、戦争を題材にしていないSRPGとはあるのだろうか(もしかしてあるんだろう)

ここで分析された「成長要素」と「シミュレーション」によって、SRPGが戦争の中でのキャラクターの成長を描くと考える向きはあるだろう。事実、多くのSRPGにはこの点にフォーカスを当てるギミック、つまりレベルアップとかクラスチェンジとかユニットの友好度などをフィーチャしている。さらにこれらの成長要素は主にキャラクターに付与される。大戦略のような純粋なウォーシミュレーションにも多少の成長要素はあるが、ほとんどの場合、SRPGとされないのはここに理由がある用に思える。つまり成長要素は戦車や戦闘機の(トークン」ユニットに付与されるのであって、個別のキャラクターにされない。(逆に戦場のヴァルキュリアではレベルが兵種全体に付与されるのは、SRPGというよりももっとウォーシミュレーション的な雰囲気が強かったように感じる。)

ここで生まれた一つの仮説、「SRPGはキャラクターの成長を描くウォーシミュレーションゲームである」というのはそれ自体は悪くないジャンルの規定であり、思想でもあると思う。ただし事実として見た場合、キャラクターの成長をうまく描いたSRPGというのはあまり思いつかない。せいぜい主人公が後半にクラスチェンジするとか、弱いユニットがレベルアップによって予想外に成長するとか、その手のことであって、ゲーム全体として成長を描くというよりも、あくまでもその一要素としてしか機能していないように思えるのだ。

それもそのはず、この成長要素というのはSRPGの一番むずかしいところ、まさにアキレス腱とも言えるポイントなのだ。というのは、多くのレベルシステムやアイテムによる強化といった要素はシミュレーションゲームレベルデザインを破壊する要素を含んでいる。この手のゲームをやる人にとってはしれたことだが、ほとんどのSRPGはユニットが育っていない序盤の方がキツい。そしてラストバトルは盛り上がりにかけることが多い。

本来のウォーシミュレーションやストラテジーゲームは主にマップ(と敵)の配置によってレベルデザインを行う。しかしながら、プレイヤー側の戦略が可変であると、マップで作られたレベルデザインが破壊される。これはたとえ、プレイヤー側のレベルに動的に敵ユニットの強さを調整しただけでは、解消しない問題である。というのもマップの地形補正などがまったく意味のなさいだけ、双方の能力がインフレした場合、それはただの損耗戦であって、ほとんどウォーシミュレーションとしての意味は成さなくなる。

ではなんなのか。SRPGにとって成長要素とはある意味、その本質であり毒であるのか。話は次回に続く。

私がSRPGに望むもの2 - Dance to Death:死に舞 on the Line