Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

Christine Loveとフェミニズム in videogame

Christine Love(日本語表記はクリスティーン・ラブが正しいそうだ)についてはファミ通とかで記事に書いたくらい評価をしている現代のビデオゲームクリエイターだ。彼女に興味をもったきっかけはSteam初のビジュアルノベルと言われるAnalogueだった。当時の私にとって外国人女性がアニメ絵のビジュアルノベルを作ることだけでも衝撃だったのだが、そのテーマが男尊女卑だというのはもう何がなんだがわからなかった。しかしちょっと調べると2000年代後半からビデオゲームにおけるフェミニズムというムーブメントが徐々に広がってきていることがわかった。

今回、知人の方々と彼女の処女作『Digital: A Love Story』の日本語版を公開できたので、たまには思い出(?)などを書き綴ってみる。

今でも多くの日本人にとってフェミニズムビデオゲームの食合せは悪いだろう。人によってはそんなイズムがビデオゲームに入ることすら認めたくないと思う人もいるだろうし、どうせ表現規制をやる連中でしょと侮っている人も多い。

だがパンク好きでライオットガールの洗礼も受けていた自分(要するにビデオゲームカルチャー以上にパンクカルチャーに染まっているだけなんだが)は、この組み合わせを素直に「かっこいい!」と思った。ビデオゲームの中でフェミニズムを追求することは、政治的な正しさといった問題以上に端的にかっこいいのだと感じたのだ。この感じ方が万人に受け入れられないことはわかるが、今でもこの直感を信じている。

そしてクリスティーンの作品はその中でももっともピュアでかっこよく、かつ正しいのだ。これまた理解されていないが、ビデオゲームの中のフェミニズムにもいろいろな立場があり、Tropes vs Women in Video Gamesで有名なAnita Sarkeesianのように既存ゲームの女性の表現を問題にする立場もあれば、クリスティーンのように女性やクイアや様々なセクシャリティをもっと表現していく立場もある。個人的にもビデオゲームにおけるフェミニズムが最も生産になる部分は既存のゲームの女性蔑視表現を取り締まることよりも、ビデオゲームの表現によって女性のエンパワメントを実現することだと思う。

クリスティーンの作品はその意味で極めて有効なものだ。『Digital: A Love Story』ではあからさまではないが、人間の愛という問題をジェンダーとまったくかかわらない部分で描いている。もちろん、それは彼女自身のセクシャリティとAIというものへの無邪気な憧れから生まれたもののように感じるが、単なるストーリーレベルではなく、ビデオゲームにおけるインタラクションへ適切に落とし込んでいる。

さらに『Analogue』ではそのテーマをはっきりと保持しながら、李氏朝鮮時代の男女差別を描くことで、我々の現実への違和感をたくみに描く。ここでも主人公のジェンダーはまったく自由な存在だが、AIに美少女のキャラクターが割り当てられることで、多くの人にジェンダーというものの認識の仕方を強調する。(だが実際に物語においても彼女の創作においても美少女への愛というエロスによって、ある意味この現実批判めいた部分は曖昧なものになっている。まあだから説教臭くなくて良いのだがw)。

表現というものに対するこうしたポジティブな部分は、私には現代のフェミニズムにおいて最も魅力的なものに映る。もちろん、根幹には私個人のパンク的なDIYエチケットがあるが、実際に作られた作品は一般的な水準で楽しめるものであるし、同時にやはり政治的にも正しい。ポリティカルコレクトネスという概念がほぼ表現規制という文脈で使われがちな昨今では、彼女の創作の多様性(新作は異性装者たちクローズドサークルものサスペンスだ)は目を見張るものがある。物事に対する誠実さが作品のつまらなさではなく、魅力に貢献しているというのは感動に値する。

実際に来日した彼女に何度かあっているが、本人は極めて好奇心旺盛なギークガールである。コスプレとセルフィーを愛しつつ、日本のカルチャーを貪欲に吸収する。その半面、とってもシャイで質問に対しては丁寧に考えながら答える。ゲームクリエイターという枠ではなく、創作する人間としての生真面目さ、実直さがとても印象的だった。

思い出というか思いを羅列する形になったが、言わんとしていることは彼女の作品を複数プレイすればわかるだろう。筋が通っているのである。好き嫌いは別として、やりたいことがはっきりしている。しかも、商業的に受け入れられる水準で。もちろん、インディーゲームのブームや現在のクイアやゲイマーのシーンが後押ししたところも多きい。しかしながら、彼女の作品はビデオゲームの歴史において一つのメルクマールとして今後も語り継がれるし、クリエイターとしても素晴らしい作品を残していくことは明らかだろう。

このような形でも彼女の作品に関われたことを誇りに思う。仕事としてもパブリッシャーをおこなっているが、個人としてもこのような才能のあるクリエイターに関われたことは本当にうれしい。より多くの人にプレイしてもらいたい。