Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

■ signals, calls, and marches / Mission of Burma

相変わらず古いCDばかり買っている。今回はコレ。以前からすごく気になっていたミッション・オブ・バーマのEPのマタドールから再発盤。おそらく彼らの楽曲の中でも一番有名な曲が収録されている。

Signals Calls & Marches (Reis)
Mission of Burma
B001T46ULY

しかし我ながらもミッション・オブ・バーマにたどり着くのが遅かったと思う。自分のUSインディーロック贔屓を考えた場合、もっと昔から聴いていてもおかしくないバンドだ。結局、日本での知名度、いや日本語での知名度が低かったことが災いしたのだろう。現在、グーグルで検索しても熱心なリスナーの方のブログエントリーが一桁見つかるかどうかだ。自分がUSロックを聴くために参考にしてきたレコードガイドにもやっぱり載っていなかったし。

でもアメリカのバンドにとっては彼らの影響はかなり強かったようだ。いろんなところで目にする。試しにピッチフォークで調べてみたら、こう書いてあった。

ストパンクの歴史は様々なやり方で語られてきたが、なかでもミッション・オブ・バーマをどこに位置づけるかという問題は難しい。それもそのはず、彼らの複雑かつダイレクトな奇抜にミックスされた音楽は、どのようなポストパンクのモノサシにおいても独自の目盛りを刻むにふさわしいものだからだ。彼らのホームタウンであるボストンでは人気もあったが、彼らがシーンの一部であることはなかった。そして1980年代の彼らの音楽性は、ジョイ・ディヴィジョンやPiLのようなベース主導型ポストパンク、ブラック・フラッグやハスカー・ドゥのようなヒロイックなハードコア、さらにニューヨークのノー・ウェイヴ系の反抗主義者たちともオーヴァーラップするにもかかわらず、まったく別のように響いている。25年が過ぎても、知的な実験性とアンセム・ロックを融合したミッション・オブ・バーマはユニークなままだ。

要するに海外でも結構、位置づけが微妙な存在。ただ近年翻訳されたサイモン・レイノルズの著書の中では、まさに上であげたブラック・フラッグやハスカー・ドゥ、そしてミート・パペッツやミニットメンといったSSTレーベル系のハードコアと共にかなりの分量がかれらのために割かれている。たぶん日本語で一番まとまったミッション・オブ・バーマの文章はこれなんだろうな。

ハスカー・ドゥがPiLのコピー・バンドをやめる最大のきっかけは、ボストン出身の彼らだったという説もある(ミッション・オブ・バーマは1980年冬にミネアポリスで演っており、ハスカー・ドゥはその前座だった)。(中略)ミッション・オブ・バーマのサウンドには形重視のハードコアと独創性、生々しいパワーと実験性という相容れないものが同居しており、SSTが目指すものと共通点は多かった。ミッション・オブ・バーマほどプログレッシブ・パンクの呼称が似合う者はいない。(313)

ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984
サイモン・レイノルズ 野中モモ
4401634047

ほぼピッチフォークの内容と重なる。ハードコアの破壊力を持ちながら、複雑な曲構成とわかりやすいメロ、90年代以降のインディーロックが目指したもののひな形だったのは間違いないだろう。実際のところギタリストのロジャー・ミラーなんかは芸大に行っておりシェーンベルクをピアノで弾けるくらいのインテリだ。まあ「マックス・エルンスト」というタイトルの曲で「ダダ!ダダ!ダダ!」と叫んでいたりするのは、今みると結構間抜けな感じではあるが(笑)。

とはいえ、私が彼らのことに興味を持ったのはピッチフォークのレビューでもサイモン・レイノルズの文章でもない。きっかけはマイ・フェイバリット・ボストン・サウンドのひとつであるGalaxy500のディーン・ウェラハムが書いたこの文章だ。

モダン・ラヴァーズは僕の大好きな大昔に解散したボストンのバンドだ。またミッション・オブ・バーマも今では解散したが、大好きなボストンのバンドだ。僕は彼らを一度見たことがある。ハーヴァード・ヤードの反戦集会での演奏だった(エル・サルバドルとニカラグアの戦争があった)。Galaxy500と同じく、ミッション・オブ・バーマもまたホームタウンのボストンでは大きな人気を集められなかった。(30)

Mix Tape: The Art of Cassette Culture
Thurston Moore
0789311992

微妙にピッチフォークでの記述(ボストンで人気があるのかないのか笑)とズレているが、この文書というかこのディーン・ウェラハムの作ったミックステープに惹かれてミッション・オブ・バーマに興味を持ったのだ。というのもこの本『ミックステープ:カセット文化の芸術』はソニック・ユースのサーストン・ムーアが編集したアーティストたちによるミックステープの回顧録である。Galaxy500ファンにはたまらない付録(?)があり、それはなんとバンドの結成の際にディーンがメンバーのナオミ・ヤングとデーモン・クルコワスキーに送ったミックステープのトラックリストが掲載されているのだ!これがいかに重要なものかは、以下のディーンによるミックステープについての文章からも分かるだろう。

ミックステープを作るのは時間と労力がかかる。費やされた時間はその受け手との感情的な関係性を含んでいる。それはセックスしたいという欲望や、アイデアを共有したいという情熱であったり。そのテープのメッセージはこんな感じだろう。「愛している。いつも君のことを考えている。僕が君のことをどう感じているのか聞いてくれ。」もしくはこんな感じだろうか。「俺は自分が大好きだ。俺はこんなに趣味のいい音楽を聴いている人間なんだぜ。」誰かのためにテープを作ることは、どこかナルシスティックだし、テープを与えるという行為は受け手になにか負い目を負わせる。すべての贈り物と同じく、ミックステープはひも付きでやってくるのだ。僕は人生でそんなにたくさんのミックステープを作ってきたわけではない。だけど、少なくとも1987年の夏に二つ一組のテープを作った。ひとつは今は前のガールフレンドだが、そのときは未来の恋人のナオミ・ヤングのために。もうひとつは親友のデーモン・クルコワスキーのために。そうなんだ、そのときに僕らはロック・バンドを結成したんだ。Galaxy500を。(28)

大好きなバンドがバンドメンバーのために送ったプレイリストが見れるというのはファンにはたまらない。ジョイ・ディヴィジョンからメイヨ・トンプソン、ジョージ・ハリスンからジョナサン・リッチマンをカヴァーする彼らだからGalaxy500のメンバーの音楽の趣味はよく知っていたのだが、ミッション・オブ・バーマはその中ではミッシングリンクだったようだ。

ハードコアよりでどちらかと言えばギャング・オブ・フォーみたいなドライな歌が多いミッション・オブ・バーマと、メロウな曲をフワフワとした音響で歌い上げるGalaxy500はだいぶ色が違うが、たしかにベースラインの選択は似ているだろう。それに当時のボストンには大学ともに彼らのようなカレッジ・ロックのシーンがあったことも確認でき興味深い。ピッチフォークのレビューからわかるとおり、彼らの音源はボストンのAce of Heartsというレーベルからリリースされており、そのレーベル・オーナのRick Harteの録音により、他のバンド以上にきれいな音質で取られている。実際にはライブはもっとハードコアよりだったようだが、おそらく後世に残した影響はこれらの録音のほうが大きいのはGalaxy500と同じだろう。

Wikipediaの記述によるとミッション・オブ・バーマはNirvana, Pearl Jam, Superchunk, Jawbox, The Grifters, R.E.M., Sonic Youth, Drive Like Jehu, Throwing Muses, Yo La Tengo, Fugazi, Pixies, Sugar, Guided by Voices, Catherine Wheel, Graham Coxon, Pegboy and Mobyというそうそうたるアーティストに影響を及ぼしている。というか何それオルタナティブロックの全部のせみたいなの(笑)。影響受けてないバンドを探すほうが難しいじゃん。それを確かめるのはみなさんの耳でしてもらうとして、一番有名でカバーされることも多いThat's When I Reach for My Revolverを聴いてもらおう。

ちなみに2002年に再結成して今でもライブしているようだ。日本に来ることはまずないだろうな・・・。

ところでBurmaってビルマのことなんだよね。なんだろうこのバンド名の由来は。彼らについてそれなりに調べてきたが、バンド名の由来は見つからなかった。政治的なニュアンスもありそう。