Dance to Death:死に舞 on the Line

Music and Game AND FUCKIN' ARRRRRRRRT 今井晋 aka. 死に舞(@shinimai)のはてなブログ。

Kawaii Future Japan 2017年11月 Bandcamp

聞いた音源まとめる。聞いた音源まとめる。聞いた音源まとめる。

 

天才。天才だー。逃げろー。

この人まだ20代そこらの日本のトラックメーカーさんで、チップチューンとかはSnail's Houseという名義でやっているみたい。既にかなり有名っぽいぞ。このブログに記事がまとめらていた。

「Kawaii Future Bass」18歳サウンドクリエイターUjicoが初のメディア登場! : たんちゃん。ネット〜サブカルオカンとアニヲタ男子〜

自分は個別のアーティストとして認識していなかったけど、2015年にTREKKIE TRAXからリリースされたされたこのEPは聞いたことがあった。

こっちのと比べると[FLOWERS]はかなりロックであることがわかるけど、いずれにせよポップかつプログレッシブで幅広い。天才、天才だー。

 

これも天才だー。天才。しかも歌も歌えるぜ。YUC'eは女性のトラックメーカーのようだけど、これまたハードコアを基礎としながらEDMやダブステップの影響を色濃く、かなりプログレッシブで多様なトラック作っている。もうなんか説明するの面倒。タイトルトラックのFuture Candyがとてつもなくすごいテンション。

あんまり楽曲に触れなかったけど、日本の若者すごいってことだけ伝えたかった。Bandcampで最近発信してくるのは非常に助かるし、購入していこうと思います。

 

 

ゲームと戦争に関するくだらない考えの類

たまたまSNSとかで回ってきたWIREDのこの記事を読んでみたが……

wired.jp

正直、内容なさすぎて馬鹿なんじゃないかと思った。だって別にこれまでのリンク以外で具体的にゲームと戦争がどう関わるか何にも言ってないのだし。

まあこの記事のクズっぷりは置いといて、巷にあるゲームと戦争ネタについてちょっとコメントしておく。正直なところゲーマーとしてはこのような話題を聞き飽きたし、実際にゲームが軍事教育を含む様々なところで利用されていることは知っている。だけどそれは端的にテコの原理が様々なところで利用されているのを知っているのと大差はない。

問題はゲームというテクノロジーが人間の普遍的な技術であるにもかかわらず、ことさら戦争に関わることを強調するイデオロギーだ。確かにビデオゲームは軍事技術と関連が深いコンピュータによって生まれた。確かにアメリカ陸軍はリクルーティングのためにFPSを作った。でもゲームはインターネットや3Dといったその他のいろいろな技術とも関連するし、様々な教育のためにも利用される。でもそういったことではなく、なぜこのゲームと戦争ネタについてWIREDのようなメディアは特に意味ない記事を更新するのか。

このイデオロギーはせいぜいゲーマーじゃない人が意味深なため息をするために作られているだけであろうし、おそらくある種のテクノフォビアだろう。というかゲームフォビアか。おそらく文化や経済の中で大きくなりつつあるビデオゲームに対するある種の不安感から来ている(もちろん戦争がテクノロジー化していることもあるだろうし、そちらの議論については別に異論はない)。ゲームをあまりやらない人はなんだかわからないものが襲ってきている気分になるんだろう。だからこうでもしてゲームの悪徳を指摘せずはいられないんだろう。

まあ若干被害妄想的な話になるんだけど、WIREDは本家にもっとまともなゲームの記事あるんだから、こんなクソみたいな記事翻訳するんじゃねー馬鹿野郎。だからいつまでたっても日本のWIREDはゲーム音痴なんだ。

 

追記…

書いてて思ったけど、この手の記事はビデオゲームとその他のゲームを明確に区別せずに、なおかつビデオゲームが戦争を変えるとか言ってることが多い。そもそもビデオゲームは様々なテクノロジーの集積物であって、なんか一個の実体ではない。そして人間のモチベーションをハックしてやる気を与えるという意味でのゲームの技術は何もビデオゲーム固有のものではなく、それ以前のゲーム、ゲームじゃないものにある。ゲーミフィケーションとか呼ばれるとはいえ。

 

最近インターネット経由で聴いたもの

それほど音楽は聞けてない気がするけど、相変わらずBandcampで音源聴いて、気に入ったものは買うようにしています。まあといっても月イチくらいなのかもしれない。無料で聞けるものは無料で聞かせてもらっている。

それよりこれだけど……

www.fuze.dj

なんかいろんなふうに話題になったっぽいけど、私は基本的にタナソーの言っていることは賛成っていうか、未だにCDにこだわったりそういう音楽が本物でネットで垂れ流されている音楽は偽物みたいな人がいるのには驚く。というか、私なんぞはCDでは絶対聞けないような素晴らしい音源をネットでいろいろ知っているわけで。まあネットというシーンの音楽はそういうシーンであってなんでも良いものがあるわけじゃないし、Vaporwaveとか良いのかゴミなのかわからんものもある。でもやっぱそれはそれでシーンがあるわけだし、良いもん出てくるでしょうって。

ま、そんな話は置いといて

 まずはこれミカヅキBIGWAVEちゃん。あんまり知らないけど日本のアーティストみたくて、アニメっぽい音でフレンチハウスみたいなやつやってて、こういうジャンルはフューチャーファンクっていうらしい。個人的にはかのDJ Newtownことトーフビーツくんの再来ではないのかって思うほど、カット&ミックスの嵐が気持ちいい。ネタとなっているのはアニメだったり、シティ・ポップだったりしてその辺はVaporwaveとの関連もある。変なタイトルとか。あとはTwitterではこれは架空のアニメ美少女をフロントにすえた乙女ハウスではないかというなかなか示唆に富む指摘があって面白かった。乙女ハウスってのはこういうのを指すらしい

ともあれ、本当にこのアルバムは高品質なポップかつダンス音楽で、その元ネタは我々が生きてきた文化を反映していて、さらにインターネットにしか形成されないシーンから生まれたように感じる。あまり調べてないけど、ポストMaltineみたいなところに存在するのかなーとか思う。しかし、キックの強さが甘ったるいだけでなくていいね。これは本当にクラブミュージックだよって思う。

 中国のアメフトことChinese Footballってまんまやねん。実際にあの伝説的なエモバンドのAmerican Footballの影響が色濃い中国産エモバンドなのだ。フレージングは流石にアメフトばりとはいかないが、イカした爽やかなリフで爽やかな歌を謳う。ベースラインも良い感じで日本人好みするバンドサウンドな気がする。ついでに最初の「电动少女」はチップチューン版も作っていて、どことないナード感が本物のナードであったことをわからせてくれるのだ。ジャケのイラストもいいよね。こんなバンドが中国から出てくるなんて、ネットで音源漁ってないと気がつかないわ。

最近っていうか昨日とか見つけたやつだが、海外(ローマ)の人プロデュースの初音ミクコンピレーション。半分くらいはCHOPTOPCUBEっていう日本の方がソングライティングしているみたいけど、本当に素晴らしい。かなり現代風のEDMなんだけど、そのアッパーかつポジティブな感じがミクのボーカル、それもかなり機械っぽいボーカルにピッタリなんだよ。EDMとかたいていチャラい音楽で聞く気になれないんだけど、これはなんかもう圧倒される前向きなエネルギーに満ちている。

プロデューサーのロボっていう人はよくわかんないけど、イラスト(NSFWまでいかないけどアレなやつもあるので注意)も書いているようでジャケも彼の作品っぽい。絵も半端なくうまい。ローマで何やってんだよって思う気がするが、まさにインターネットだねっ。

ってことでネットで出会った音楽でした。

 

 

Alex Chilton / The Replacementsの訳詩をサルベージ

訳詞は意外と楽しい。解釈の自由度もある。精神的にもいいかもしれない。

The Replacementsは大好きなバンドだけど、あまり周りに好きな人が見当たらない。それはたぶんアメリカンすぎるロックなんだと思う。自分は結構ルーツ・ロックみたいなもの好きだから大丈夫だけど、たしかにポール・ウェスターバーグのソロなんかは日本人的な完成からは理解しにくいと思う。

ただこの曲「Alex Chilton」はその名の通り伝説的なシンガーソングライター、Big Starとかで有名なアレックス・チルトンをテーマにしているから、パンキッシュでポップ。メインのギターリフは最高で、初期のナンバーガールを思いっきりアメリカンにした感じ。やっぱアメリカンなのかといわれればそうなんだけど……。

 

 

もし彼が金星から来たんだったら、スプーンで俺たちにメシをくれただろうか?
もし彼が火星から来たのだったら、クールだったんじゃね?
キャンパスの真っ只中に立ち、ファイルにスタンプ押してくれるんだろうか?
始終メンフィスのあたりをうろついている。

100万くらいの子どもたちがアレックス・チルトンのために歌う
彼がやってくるときに
子どもたちは歌う「夢中だぜ!この曲はなんだ?夢中だぜ!この曲はなんだ?」

彼のチョイスの村々に頭にガツンと強姦、強奪
見える声で歌える見えない男
札束の予感、目の前で幸運を交換
サンマルコでへそくりをゴミみたいに数えている

俺はそんなに遠くへ行けないぜ、小さなビッグ・スターなしでは

家のあたりを走り回り、ミッキーマウスとタロットカード
さわがしいビデオをつけたままで、眠りにおちる
彼が金星から来たのならば、月で落ち合えるかな?
彼がメンフィスで死んだのならば、クールなんだろうな、たぶん

If he was from Venus, would he feed us with a spoon?
If he was from Mars, wouldn't that be cool?
Standing right on campus, would he stamp us in a file?
Hangin' down in Memphis all the while.

Children by the million sing for Alex Chilton when he comes 'round
They sing "I'm in love. What's that song?
I'm in love with that song."

Cerebral rape and pillage in a village of his choice.
Invisible man who can sing in a visible voice.
Feeling like a hundred bucks, exchanging good lucks face to face.
Checkin' his stash by the trash at St. Mark's place.

I never travel far, without a little Big Star

Runnin' 'round the house, Mickey Mouse and the Tarot cards.
Falling asleep with a flop pop video on.
If he was from Venus, would he meet us on the moon?
If he died in Memphis, then that'd be cool, babe.

(chorus)

 以上の歌詞は昔mixiに投稿したものだ。つたないところはあるけど、雰囲気は伝えている。やっぱサビの"I'm in love. What's that song?  I'm in love with that song."は最高にイケてる。かなりアップビートが聴いたリズムで乾いたドラムがトランポリンのように飛び跳ねる。カウベルの使い方もかなりよい。後半、アコースティックになるあたりのアレンジも凄まじくセンスが良い。これぞアメリカンパンクって感じ。

 

ありふれた表現、日常的な創作

世の中にはその辺の普通の人が作った芸術(あえてそう呼ぼう)を楽しめる人とそうでもない人がいる。たぶん大多数の人はアーティストや芸術家や作家や有名ブロガーやユーチューバーの作ったものしか楽しめないのかもしれないが、私は友人や家族やその辺の名もない人の作ったものを意外と楽しめる。これ自体はまあ良いとか悪いとかじゃないけど、もうちょっとみんなにもそういった「ありふれた表現、日常的な創作」を楽しめるようになってほしいと思っている。

ただやはりそういったものを楽しむにはいくつかの障壁がある。まずクオリティ。まあクオリティといっても実際にはいろいろだけど、一般にそういった「ありふれた表現」は往々にして商品や作品として流通するものに比べて、何かしらの「質の悪さ」がある。音質が最悪だったり、歌詞がいい加減だったり、カット割りがおかしかったり、線がクリナップされていない。ただこういった部分はある程度の作り込みや制作費の投入でクオリティアップがなされるため、そのアイデアや構想やコアな部分は十分に鑑賞に耐えうる。だいたい商業的な作品を作っている人もラフスケッチやデモの段階では荒削りなわけなのだから。

またこれらの荒削りな部分はそれはそれで味がある。商業的に作り込まれたものは良くも悪くも角が取れて、そういった荒削りな部分の味が薄まっている。ローファイと言われるような音楽のジャンルはその部分自体も美的な鑑賞の対象だ。

ある種のインディーゲームもそういった部分がある。これらの荒削りな表現は苦手とする人もいるだろうが、まあ要するに好みの問題という部分であってそんなに大したことではない気もする。

でも二番目の障壁として思いつくものはやや厄介そうである。それは作者との関係性だ。現代において作者と我々の関係は何らかの意味で隔たりがあり、商業的な作品を作る作者と直接と面と向かうことはほとんどの人はないだろう。そういった距離がある関係が通常であると、実際に知人や目の前にいる人が作ったものにどういう態度を取ればいいかわからない人は多いように感じる。

確かに作り手がそばにいる状態で何かの表現を鑑賞するのはやや特別なことに感じる。場合によってその人との関係性によって「純粋に」鑑賞ができないこともあるだろう。また逆にその人に関する特別な知識によって、他の人より多くの洞察を持つこともできるだろう。

この関係性にどう対処するのかは人それぞれだし、あまり答えはないように思えるが、ともかく慣れているかいないかにはかなり差があるように思える。コミケなどの同人誌即売会などに足を運ぶ人は直接作り手と向き合うため、こういった関係性にある程度の耐性を持っているように思える。

いずれにせよ、そういった近いところで出された表現にはそれ固有の楽しみもあり、プライベートな感覚に満ちている。 表現や創作といったことは何も匿名の「読者」だけに向けたものではなく、近い知人や家族、恋人に向けて作られることがあっても良い。むしろ歴史的にはそっちの方が古い表現であるようにすら思える。

最後に障壁とは異なり、私が「ありふれた表現、日常的な創作」に対して持つ独特な感慨について触れておこう。こういっては何だが、私は人を人として扱う以上に人類という生物として見ることが多い。そして、そこから生まれる創作物はビーバーの巣やサンゴ虫が作る珊瑚のように、広い意味での生物の表現型として考えている。つまり、それらは自然美としても鑑賞できるものである。いくら陳腐なメロディー、凡庸なフレーズであっても、その生態系やそれに乗っかる文化から生まれたことを考えると往々にして崇高なものとして立ち現れるものなのである。

現代のタイの音楽がおもしろすぎだった

バンコクに旅行してきたのだが、すごく美味しくて安いイサーン料理の食堂でかかっていた音楽に惹かれた。それは歌謡曲のような節回しでいて、ラップのようなフレーズがあり、なぜかバックバンドはスカのような不思議な音楽だった。たまにシンセのフレーズが入ったりするのも面白い。Twitterで適当に聞いてみたところ、すぐに「ルクトゥーンかモーラムではないか」と指摘が入った。

前提としてルクトゥーンというのはタイの歌謡曲に当たる音楽ジャンルにようで、要するに戦後のロック・ポップスに影響うけたタイ国産音楽のようだ。対してモーラムはタイの東北地方(イサーン)の伝統音楽だが、その後、ルクトゥーンからの影響をうけて独自に進化していったようだ。

上の動画がおそらく伝統的なモーラム。ケーンと呼ばれる笛と打楽器で比較的アップテンポの音楽だ。どうも伝統的なモーラム自体にラップのようなフレーズが入っているらしく、たしかに歌もどこかリズミカル。

これらのモーラムがルクトゥーンの影響下でエレキギター、ベース、シンセサイザーなど加わり、いつしか独自な歌謡曲のような音楽になった。さらにもともとなのか、西洋の影響を受けたのかわからないが、リズムが明白にスカのようなツービートになった。これが面白い。メロディは歌謡曲のようなマイナー調でそこに軽いギターやシンセがのりつつ、スカのビートがなる。さらにブラスあたりの入れ方はファンクっぽい。ボーカルはラップのような雰囲気の男声と歌謡曲のような女性が交互に入り、ライブセットであるからか全体としてはかなり長い。この辺りもフェラ・クティのアフロビートみたい。

これなんかもローカルなバンドみたいけど、シンセのパーカッシブなフレーズのせいで怪しいニューウェーブバンドみたいな雰囲気がある。実際に最近のバンドになると、モラーンをやっているのかどうかはよくわからないが、明白にスカを押し出すのがかなり見つかるのである。

Bie The Skaという名前もそのままなバンド(?)タイ語が読めないからまったく情報が漁れないが、歌謡曲っぽいメロとリフをうまくスカにまとめており、PVもかなり楽しい。どうもタイは女性に憧れるダメな男性という構図がドラマやPVでも多く、これもそれを踏襲している。

こちらもモーラムなのかわからないが、明白にスカのリズムにラップのようなボーカル。フック部分にはダブステップっぽいリフ(ベースが弱いがw)の上でラップ。PVの内容はコミカルな感じだが、どうも出稼ぎ労働者っぽいネタが頻出している。良い感じに下品な音楽に仕上がっていて大変楽しい。

イサーンという地域は上の動画のように自然あふれる素晴らしい土地らしいが、タイにおける貧困地域であるらしく、バンコクにはイサーンからの出稼ぎがたくさんいるらしい。そういうこともあってモラーンはイサーン人の郷愁、哀愁、そして抵抗を意味する重要なものらしい。出自もあってヒップホップ的な側面を感じる。

すごくたまたま「爆音映画祭2016 特集タイ|イサーン」というイベントでイサーンのことを扱った『バンコクナイツ』という映画を上映するようだ。なんというか素晴らしいタイミング。いろいろわからないことがあるので、もっと知りたいところである。

 

極私的BitSummit 2016の感想

今年はBack in 1995のお手伝いという形で参加しました。いつもと違って出展者側の気持ちがわかって面白かったね。とりあえず、床柔らかくしよう......。E3ほどまでいかなくてもいいけど、みやこめっせ硬いよ!

以下は極私的な感想。ただの日記みたいなもんだ。

 

BitSummitはフジロックだ、よくも悪くも......

何より運営がやばい。こっちは出展者側だが2日目前くらいまでステージイベント等の情報も公開されなかった(笑)。メディア側もこれじゃ取材のスケジュール組めないよ!!

でもすごい。お客さんは別に何があるのかよくわからなくてもとりあえず来る。まさにフジロックが目指した「アーティストを見に来るのではなく、俺のイベントに来い!」状態だ。これができるならば、もうむしろ何も発表しない方向でいいんじゃないか。とりあえずBitSummit来たら今の日本のインディーがわかる!みたいな。

ということで、お客さんはとてもたくさん来た。Back in 1995は場所も良かったので常にプレイしてくれる人がいた。外国人もいたから英語での説明はなかなか良い機会だ。VRなんて列並んでて1時間待ちとかあった。なんだこのイベント。

メシがうまかった、メシがうまかった大事なことですので2回言いました!

これマジ本当。会場内には地元の食べ物やさんのカレーとトルティーヤとハンバーガーとかあった。特にQ GamesのDEAD HUNGRYというVRゲームとコラボしたハンバーガーが大人気。俺は並ぶ暇がなくて、カレー食ってたら目の前にQ Gamesの社長さんのディランさんが座って、このコラボレーションについてべらべらと教えてくれた(なんと豪華な話であろうか。このクリエイターとの圧倒的な近さもまたBitSummitの醍醐味だ)。

ディランさんによれば、なんかこのコラボは直前に決まったらしい。DEAD HUNGRY自体が社内のゲームジャムで作られた作品だけあって、ゲームも企画も急ごしらえだったようだ。ハンバーガー屋さんはみやこめっせの近くのお店で、以前からもBitSummitの時に利用していたようだが、今回は会場に出展してもらったそうだ。本当はVRのブースのそばでハンバーガーを焼いて匂いもバーチャル(リアル?)だとかやりたかったそうである。(ディランさん商売上手や。これはまちがいない)

で、比較するの悪いけど、TGSのメシはなんとかしろ。いつも高くて大したことのないメシしか食えない。このBitSummitのメシのクオリティはまた出すけどフジロック並でたぶん海外デベロッパーも忘れられない味になるだろう。

プロもインディーもゲーマーも関係ない空間

ディランさんもそうだが、今回は本当に豪華なクリエイターがそこら辺にいる空間だった。もちろん、私はライターという肩書もあっていろんな人に声をかけていただけるのですが、坂口博信さんも五十嵐孝司さんも須田剛一さんも普通にブースにいる。雰囲気的にはサインくらいは気軽に答えてくれそうだし、実際に写真はみんないっぱいとってた。

個人的にはRead Only MemoriesのMidbossの面々やMomodoraの作者rdeinさんに会えたのがよかった。rdeinさんはBack in 1995のデモをクリアするまでやっていったよ!俺も一条さんも英語が下手くそでうまくアテンドできなかったがww

この辺りもTGSと比べると圧倒的にファン目線のイベントだ。それも作られたものではなく、コミュニティとして自然な形の。たぶんPAXに近い存在になっていくんじゃないだろうか。(運営の所々の問題が解消されるならば)

出展作品のレベルは

いろいろとインディーのイベント見てきて、偉そうながら言いますが、正直、日本のインディーは海外とまだまだ差があるのは否めなかったです。特に海外勢はIndie MEGABOOTHで選ばれたタイトルがたくさんあるので、クオリティは非常に高い。また東アジア系のデベロッパーもなかなか力を蓄えてきた感じがある。

翻って日本のタイトルはややおなじみのメンツになっている感は強い。まあTGSコミケやデジゲー博といった機会で会っている人たちなのでしょうがないかもしれない。でももっといろんな人に参加して欲しいとは思うし、日本のインディーはまだまだこんなもんじゃないってのを期待している。

驚きのプラットフォーマー3社の参加

任天堂の参加。一番のビッグニュースだっただろう。まあ以前から個人向けのパブリシングを認めるみたいな方向はあったが、こうもBitSummitに参加するとは思ってなかった。正直、まだまだ課題は多いが(開発、レーティング、審査フロー、ストアでの扱い)見守っていきたいと思う。

Sonyさんは名前を連ねて、ステージに吉田さんがでたくらいで特になにもしてなかった。イトゥーさんいわく、「裏方に回ってサポートしたい」とのこと。まあそれはわかるし、既に何本かインディー発のゲームはPSプラットフォームで出てきた。こちらとしてはとにかくPS4をなんとか日本で普及させてほしいとは思うが。

MSさんはちっちゃなブースでIDプロジェクトの説明をされていたと思う。正直、日本での展開はまだ煮え切らない感じでどうなるかよく知らない。それ以上に国内市場を考えた場合、XboxOneはちょっとありえない。かといってまたWindowsとの統合とかいう話になるのもどうかと思うので、国内インディーの受け皿としてはまだまだ遠い印象だ。 

VRの多さ

これは予想されたことであるが、VRコンテンツは多かったし、レベルも高かったようだ。自分は並ぶ暇もなく、CAVYHOUSEさんのやつだけ見せてもらったくらいだ。

ただ展示に関してはまだまだ課題がある。そもそもVRは大がかりな機材が必要で、センサーの干渉もあり、一般のブースと同じく募集をかけるのは無理がある。かといってVRコンテンツに何枠用意したらいいのか、なかなか難しい問題だ。

今後はVR展示のノウハウが蓄積され、運営側もそれを把握してうまいことやっていっってほしい。

ボランティアの活躍

非常にボランティアスタッフが頑張っていました。出展者側としては非常に助かります。ただSPAREっていう役職がブースの代理人になってくれる人であることは、最期まで気づかなかったです(笑)。

便乗イベントの存在

BitSummitにともなって前日から様々な催しがありました。STGのパーティーや恒例となっているポリポリクラブ。そして物議を醸したMEGABIT CONVENTION。これには残念ながらいけなかったけど、ごく普通の同人ソフト即売会だったようです。

個人的には様々な便乗イベントがあるのは楽しいですが、うまく運営と協調していってほしいと思います。E3なんかの大きなイベントもこういった便乗企画はいっぱいあって、それ自体は非常に面白いです。せっかく京都という場所でやっていることもあって、BitSummitが良いインディーの「エコシステム」となることを願っています。

以下は参考記事

www.gamespark.jp

そしてオフ会と化す

BitSummitの面白さのひとつはやはり関西勢との交流でしょう。クリエイター、アーティスト、社長さん、喫茶店の兄ちゃんも含めいろんな人がいます。いつも会うことができない人たちと絡む貴重な機会となっており、ここでは書けない話が繰り広げられます。なのでやはりBitSummitはロックフェスのように毎年休みを取って合宿するつもりで行くのがいいでしょう。

 

以上、かなり雑に書きましたが、一言でいえば、BitSummitはとても楽しかったです。皆さん、お疲れ様、来年もよろしくね!